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直線の時代

藤原宮の御井の歌
 やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子 荒たへの 藤井が原に 大御門
 始め給ひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見し給へば 大和の 青香具山は
 日の経の 大御門に 春山と 茂さび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の
 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に
 宜しなへ 神さび立てり 名くはし 吉野の山は 影面の 大御門ゆ 雲居にぞ
 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそは
 常にあらめ 御井の清水

 短歌
 藤原の大宮仕へあれつぐやをとめがともは羨しきろかも
 上の歌、作者未だ祥らかならず。
 (『万葉集』巻一の五二・五三)


 あまりよい評判のない保守党のある代議士と同席したことがある。彼は、大物の建設族の代議士である。とある行政の委員会でのことであった。私は不躾な質問をした。

上野:
新聞は、代議士というと悪いことばかりをしているように書きますが、ほんとうに悪いことをしているのですか?

代議士:
ええ、悪いこともしています。でも、それ以上に良いこともしています。政治家の仕事は後世の歴史家が評価してくれます。

これは、上野の完敗であった。なるほど、格が違うな、と思った次第である。

 そこで、私は一計をめぐらした。明日香・藤原・平城の三つの都と、上ツ道・中ツ道・下ツ道の入った七世紀・八世紀の奈良盆地の地図を見せて、「こんな都市計画をして、首都を作ると予算がパンクしてしまいますか?」と質問したのである。地図をまじまじと見た代議士は、次のようにいった。

代議士:
そうですね。マッカーサーが日本の大統領にでもならないかぎり、悪いですけどこんな都市計画は実行できませんよ。

もちろん、これが七世紀・八世紀の地図であることは、明かしていない。わたしは、そこで、なぜマッカーサー連合軍最高司令長官なのか、不思議に思って−聞いてみた。

代議士: 
道が真っすぐでしょ。こんな真っすぐな道を引こうと思ったら、土地買収に百年かかります。マッカーサーしか、そんなことはできません。占領軍がやらないとできません。

とここまで、話したところで、会議がはじまり、話は中断。代議士は、その途中で別の会合に向かったのである。今から考えると、代議士には悪いことをしてしまった。ほんとうのことをいうチャンスを逃してしまったからである。

 つまり、直線道路を中心とした古代の都は、現在の政治ではできない、ということなのである。よく考えてみれば、憲法改正・学制改革・税制改革・農地改革などは、占領下に断行されている。マッカーサーのごとき強権がないと、藤原京のような都は作ることができないのである。

 考古学的な検証はできていないそうだが、香具山の頂上を真っすぐ中ツ道が通っている。直線道路を基準に東西南北を軸に作られた藤原京。その藤原京の主こそ、持統女帝だったのである。夫・天武天皇の遺志を継いだ持統は、六九四年、藤井が原への遷都を挙行する。

「藤原宮の御井の歌」は、その藤原の宮の「埴安の堤の上」に立った持統の視線で、歌われたものである。だから、
<東・・・大和の青香具山><西・・・畝傍のこの瑞山><北・・・耳成の青菅山>
と歌い、南は遠景として「吉野の山」を配している。これは、南に庭を配し、大きく南を望むという「天子南面の思想」を背景としてのことだろう。そして、その中心に藤原の宮の井戸を据えているのである。この景観こそ、持統が天皇として望んだものであった。つまり、「藤原宮の役民の作る歌」(巻一の五〇)と、当該歌は新都讃歌として高らかに歌われたものだろう。

 私は、三波春夫の「東京五輪音頭」と同じような時代の肌触をこの歌に感じるのだが。できることなら、持統天皇にも、私は突撃インタビューをしてみたい。たぶん、その時の切り出しは、こうだろう。

上野: 
後世の歴史家は、持統天皇について、陰謀の女帝というイメージで語ることもあるようですが、その点についてご本人は、いかが、お考えでしょうか。また、あなたのおやりになった土木工事について、現代の日本の政治家は実行不可能といっていますが、その点についても、お話ください。

持統: 笑い・・
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