もしも、試験で・・・
問一 『万葉集』の風土と、万葉びとのと関わりについて述べなさい。という問題が口頭試問で出たら、私は何と答えるだろう。少し考えてから、
それは、盆地生活者の文芸です!
と答えるに違いない。乱暴な言い方になってしまうのだが、私は次のように考える。万葉の都は、飛鳥(五九二−六九四)?藤原(六九四−七一〇)?平城京(七一〇−七八四)と変遷する。それは、すべて奈良盆地のなかにある。そして、この盆地の都に万葉びとは、住んでいたのである。
青垣山
万葉びとは、この都を囲む山々を「青垣山(あおがきやま)」と称している。青い垣根となっている山々、ということである。この青は、木々の緑をいう「青」であり、ブルーではなく、グリーンなのである。つまり、万葉の時代の都に生活している人びとは、盆地を囲む山々を、「緑の垣根」ととらえていたのである。何ともあきれるほどの自己中心的な思想である。
だから、彼らは「青垣山」を越えると、涙してしまうのである。
大和青垣の西
この青垣山の東の山が、三輪山なのである。それは、山そのものを御神体とし、大和の土地神の眠る山である。対して、西の垣根は、何山か。一つは生駒山であり、もう一つが二上山である。現在では、音読みしてニジョウサンというが、万葉びとはこれをフタカミヤマといったのである。太陽と月が出る三輪山、それが沈む二上山。だから、万葉びとにとって、二上山は落日と月の入りの山なのである。これもまた、身勝手な自己中心的な思想といえるかもしれない。
二上山
このフタカミヤマは、二つの瘤を持つ山である。まさに、それは馬の背中に見える。その馬の背に映える太陽と月に、万葉びとが心を動かしたのはいうまでもない。それは、落日と月光とは、人の心を浄化する働き持っているからだ。
だから、奈良を旅する人に、私は次の景色を見ることを勧める。それは、朝日の三輪山と落日の二上山である。たぶん、それだけで古代を実感することができるだろう。
恋歌の二上山
その二上山に沈む月を詠んだ恋歌がある。
二上(ふたかみ)に
隠(かく)らふ月の
惜(を)しけども
妹(いも)が手本(たもと)を
離(か)るるこのころ (『万葉集』巻十一の二六六八)
拙い訳を示すと、
二上山に隠れる月を見るように
惜しまれることなのだが・・・
好きなあの子の手枕をしないことだ
ということになる。惜しまれることの比喩となった二上山の月。彼女と共寝をできないのは、二上山に隠れてしまう月を見るように悔しい、と万葉びとは歌う。
さて、今宵の二上山の月はどうだろうか。 |