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ふたつの「故郷」を持つ古代都市生活者

万葉研究者の夢想
  もし、文部科学技術大臣になることができたら、やってみたいことがあります。それは、古典の画一的教科書を廃止して、その地域に根ざした教科書を作り、画一授業を廃止することです。この夢が実現すると、奈良県の高等学校の古典の教科書は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』で−決まりでしょう。教材は、眼前の山河であり、教員と生徒さんはいつも野山を駈けめぐることになるから、古典の授業は体操服ということになるかもしれません。窓を開ければ、二上山の大パノラマ、それも教材となるでしょう。東京で研究生活に入った私も、奈良大学赴任して四年目。『万葉集』を勉強するものにとって、ここはメッカとさえ言えます。そんな夢想が、いま、私の胸を駈け巡っています。

フタカミヤマ
  日頃、親しくしていただいている高校の先生からお伺いしたところによれば、現在の高校の古典の授業では、額田王や柿本人麻呂、山部赤人といった歌人の秀歌も学ばれているとことですが、今日は二上山の話をしてみたいと思います。現在、一般にはニジョウサンと音読みしていますが、『万葉集』ではフタカミヤマと呼ばれています。フタカミ山とは、二つの峰のある山です。万葉びとは、雌雄の二つの瘤(こぶ)のある山型に、たいへんな関心を持っています。おそらく、二上山の景観はヤマトの盆地を生活圏とした万葉びとの心に焼き付けられていた原風景だったのかも知れません。ヤマトの盆地に育った万葉びとが、旅に出て二上山と同じような雌雄二瘤の山を見ると、故郷を思い出さずにはいられなかったようです。巻七には次のような歌が伝わります。

 紀路にこそ妹(いも)山ありといへ 玉くしげ二上山も     (巻七の一〇九八)

大意は、紀州路にこそ妹山という名高い山が あるというが、ヤマトの二上山にもあるのだ、 というものです。二瘤山の妹の山なら、ヤマ トにあるぞ−といったお国自慢の気持ちのよ うなものをこの歌に読み取るべきかも知れま せん。

見立てということ
  富士といえば、日本一の富士(静岡と山梨にまたがる富士山)と考えると思いますが、実は日本全国に、その土地の富士があります。私の故郷、福岡県には筑紫富士があり、香川県には讃岐富士があるといった具合です。つまり、同じような姿をもつ山を、富士山に見立てているのです。じつは、見立てというのは、日本の芸術や文化を考える上で、重要なキー・ワードなのです。

もう一つのフタカミヤマ
  雌雄二つの峰のある山を、『万葉集』から、思い出すまま挙げてみましょう。
  紀州の妹背山 和歌山県伊都郡かつらぎ町の背の山と、紀ノ川の対岸の妹山、筑波山、茨城県筑波・真壁・新治(にいはり)にまたがる山などがあります。ヤマトの二上山と同じような山容を持つ山に対して、ヤマトで育った人びとが親近感を持つのは当然でしょうし、また畏敬の念をもってその山を望んでいたとも思われます。

  じつは、『万葉集』はフタカミヤマと呼ばれている山が、もう一つあります。
  二上山 富山県高岡市と氷見市の境にある山が、それです。大伴家持は、赴任した越中で、故郷ヤマトの二上山と同じ山容を持つ山を見つけます。都を離れ、故郷ヤマトに思いを馳せる家持は、天平十九年(七四七)に二上山賦という作品を残しています。長歌はなにぶん長いので、第二反歌のみ、引用しましょう。

 玉くしげ二上山に鳴く鳥の  声の恋しき時は来にけり  (巻十七の三九八七)

大意は、二上山に鳴く鳥の声がいとおしい季節になったことだなぁ−というものです。おそらく、ヤマトと越中の二つの二上山は、ダブル・イメージ捉えられていたのでしょう。映画でいうならば、二重写しになった画面です。さらにいえば、これは家持の見立てであると思います。
  つまり、誰にでも、心に焼き付いて離れない風景というものがあるのです。

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