あと百年くらいしたら、こんな入試問題が出るかもしれない。
問一 棒線部Aのナマアシについてその意味を説明しなさい。ただし、素足との違いが明確になるように、説明しなさい。
模範回答は、
ナマアシとは一九九〇年代の後半に流行した女性ファッションで、ストッキングをはかない状態をいう。この時代、女性は一般的にストッキングをはいていたので、素足の状態でいることをナマアシと呼んだ。ことに、安室奈美恵の影響を受けたアムラーがナマアシで街を闊歩したという。
となろうか。「何をくだらないことを・・・」と、思われる読者もいるだろうが、国文学者や歴史学者が行なう注釈というものは、おおよそこんなものではないだろうか。
そのうち、古語辞典の挿し絵に、「蚊帳」や「卓袱台」が登場する日も近いだろう。「問一 棒線Bに父は卓袱台を引っ繰り返したとあるが、父はなぜ卓袱台を引っ繰り返したのか、説明しなさい」という出題があるかもしれない。答えは「激しい怒りを表すため」となるだろうか。『巨人の星』の星一徹の名物シーンも、卓袱台がなくなれば、注釈が必要なはずである。生活がわからなければ、生活から生まれた表現のリアリティーがわかるはずがない。
「公設市場」に対して「闇市」があり、「闇米」があった。戦後の混乱期の経済生活がわからなければ、なぜ「闇」なのかわからないだろう。こういった「闇」という言葉の用法が、「闇給与」などの言い方に残っているのである。
それほどの成果を上げているわけではないが、私はそういった生活と表現の回路を見つけだすことを心にかけて、万葉研究を行なっている。
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