紀路にこそ 妹山ありといへ 櫛上の 二上山も 妹こそありけれ
(作者未詳 巻七の一〇九八)
奈良県北葛城郡當麻町に、ニジョウサンという、らくだの瘤のように見える山がある。奈良盆地の南側から見ると、美しいシルエットを見せてくれる山である。現在、一般にはニジョウサンと音読みしているが、『万葉集』ではフタガミヤマと呼ばれていた山である。フタガミ山とは、二つの峰のある山という意味。万葉びとは、雌雄の二つの瘤のある山型に、たいへんな関心を持っていた。おそらく、二上山の景観は大和の盆地を生活圏とした万葉びとの心に焼き付けられていた原風景だったと考えてよいだろう。
大和の盆地に育った万葉びとが、旅に出て二上山と同じような雌雄二瘤の山を見ると、故郷を思い出さずにはいられなかったようだ。この歌の大意は、紀州路にこそ妹山という名高い山があるというが、大和の二上山にもあるのだ、というところにある。
二瘤山の妹の山なら、大和にあるぞ──といったお国自慢の気持ちのようなものをこの歌に読み取るべきだろう。
富士といえば、日本一の富士(静岡と山梨にまたがる富士山)と考えるが、実は日本全国に、その土地土地の富士がある。私の故郷、福島県には筑紫富士があり、香川県には讃岐富士があるといった具合だ。つまり、同じような姿を持つ山を、富士山に見立てているのである。
雌雄二つの峰のある山を、『万葉集』から、思い出すまま挙げてみよう。
紀州の妹背山(和歌山県伊都郡かつらぎ町の背山と、紀ノ川の対岸の妹山)
筑波山(茨城県筑波・真壁・新治にまたがる山)
などがある。大和の二上山と同じような山容を持つ山に対して、大和で育った人びとが親近感を持つのは当然であるし、また畏敬の念を持ってその山を望んだのであろう。
かくいう私も、旅先で故郷の山と同じような形の山を見るとついうれしくなってしまう。そして、里心がつく。
万葉びとも、きっとそうだったに違いありません。きっと。 |