48
万葉集に学ぶナンパの作法  〜古代青春グラフティー〜

ナンパの名所とその作法
  「ナンパ」の名所といえば、東京渋谷のスペイン坂、大阪難波の引っ掛け橋。この歳になっても、この場所を通ると、少しは胸がときめくから・・・不思議だ。男の性か。

 話は、一三〇〇年前にさかのぼる。万葉の時代に「ナンパ」の名所といえば、市場だった。山の幸、里の幸、海の幸が集まる市には、恋に恋する美男と美女が集まってきた。そこでは、気に入った相手に歌で呼び掛け、反応を探ったのであった。ことに有名だったのは、海石榴市(つばいち)(現奈良県桜井市)と軽の市(現奈良県橿原市)である。

 さて、ここで当時の「ナンパの作法」について述べておきたい。まず、男性が女性に、家と名前を聞くのである。ここで、女性は簡単には応じてくれない。だからといって、悲観するには及ばない。女性が名前を簡単に教えないのには、わけがあるからだ。それは、相手に名前を教えることは、女性にとっては大変な決断だったからである。というのは、名前を教えるということは、古代においては即結婚の意志あり!というメッセージになったからである。だから、古代の女性が、簡単に名前を他人に教えるということはない。平安朝においても、藤原道綱の母、菅原孝標の女(むすめ)としか女性作家の名が伝わらないのは、そのためなのである。したがって、お父さんすら娘の名前を知らない、ということがあったようである。

 海石榴市(つばいち)で「ナンパ」された女性は、こう答えた。  お母さんが呼ぶ秘密の名前を教えてあげたいけど

  あなたは行きずりの人、知合ったばかり
   誰とも知らずには・・・教えられないわ(巻十二の三一〇二)さて、この歌をやんわりとした拒絶ととるか、脈ありととるかは難しいところである。ちなみに、私のゼミナールでは、三時間討論しても結論はでなかった。古代の文学を学ぶ者は、当時の社会制度や慣習などを、以上のように勉強する必要があるのである。対して、現在の古典教育は、あまりにも文法に偏りすぎていて、作品・作家と社会との関わりを無視しているように思えてならない。古典嫌いが増えるのも当たり前である。ともあれ、この恋の行方はどうなったか、気になるところではある。もし、結婚してこどもが生まれていたならば、その子孫はどこかにいるはずなのだが。

天皇のプロポーズ
  実は、『万葉集』の開巻第一の歌も、天皇の求婚歌なのである。国土統一の英雄と仰がれていた雄略天皇は、高らかに歌う。

  籠も 良い籠を持ち
   へらも 良いへらを持って  この岡で 菜をお摘みになっているお嬢さんがた!  家をおっしゃい 名前をおっしゃいな・・・  (そらみつ) 大和の国は  ことごとく 私が君臨している国だ  すみずみに至るまで 私が治めている国だ  私の方から 告げましょう  (大王の)家のことも (わが)名前のことも (巻一の一)若菜を摘んでいる娘たちの前に現われた天皇は、まずその籠とへらを誉めるのである。初対面の相手と話をするときには、まず誉めるのが一番。ナンパにもセールスにも通じる基本である。そこで、天皇はさっそく求婚。最後に、自らのヤマトの統治を高らかに宣言して、『万葉集』は始まるのである。「我こそば 告(の)らめ 家をも 名をも」と。つまり、天皇は若菜摘みの場で、ヤマトの大王であることを宣言しているのである。

 とするならば、この歌は大和朝廷にとって大切な歌、ということになろう。また、天皇がヤマトの統治を宣言した若菜摘みは、国家的な儀礼の場だったはずである。つまり、巻頭歌は五世紀の雄略天皇の歌として伝えられた伝承歌だったのである。ところで、この結婚の成否は・・・? 続きは、研究室でお話しましょう。

HOMEデジカメ日記エッセイランド来てください、聴いてください読んでくださいプロフィール奈良大学受講生のページ授業内容の公開
マンガ研究業績おたより過去の活動サイトマップリンク集
無断転載、引用を禁止します。(C)MAKOTO UENO OFFICE. www.manyou.jp produced by U's tec