一緒にいたいと願う相手から、別れてしまうことを、万葉びとは「目離る」と表現する。配流された中臣宅守は、狭野弟上娘子に逢いたいという気持ちを、次のように表現している。
思ふゑに 逢ふものならば しましくも 妹が目離れて 我れ居らめやも
(巻十五の三七三一)
難しい歌だが、釈義は「思うことで逢えるというのなら しばらくでもおまえに逢わずに 俺はじっとしているだろう でもそんなことなんてありゃーしない!」ということになろうか。「思えば、逢える?・・・だったら思うさ、でもそれがなんになるんだってんだよ!」という、捨て鉢な気持ちを読み取ることができる。この歌でも、恋人から離れることを「妹が目離れて」と表現している。つまり、愛する人から離れることを、万葉びとは「目離る」というのである。
さて、大伴家持は、天平勝宝七歳(七五五)二月八日、「防人が悲別の心を追ひて痛み作る歌一首」という長歌を詠んでいる。そのなかに、次のような一節がある。
猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の妻をもまかず・・・
(巻二十の四三三一)
「勇敢な兵士として ほめいたわられ 命令のままに母とも別れ 妻の手枕もせず・・・」というのである。この歌では、母との別れを「母の目を離れ」と表現し、対して妻との別れは「手枕もせず」と表現している。母に対する、、思慕と、妻に対する、、恋慕を家持はこう歌ったのである。つまり、「目離る」というのは、別れるということを具体的に伝える表現であるといえるだろう。
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