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万葉時代の住宅事情

家に来てわが屋を見れば 玉床の外(ほか)に向きけり 妹が木枕
  (『万葉集』巻二の二一六)

という歌がある。最愛の妻を失った柿本人麻呂が作った挽歌である。妻を葬り、家に戻って、わが屋に入ると、そこには妻が使用していた枕が空しくころがっていた−最愛の人を失った空虚な心を歌った歌である。

  この歌でいう「家」とは、複数の建物群を指すことは、続く「わが屋」からわかる。つまり、屋敷地の中には複数の建物が存在し、その一つが愛する妻のいる「わが屋」だったのである。この歌は長歌に続く、第三反歌なのだが、長歌には「枕づく妻屋」という表現があり、妻のいる建物は妻屋とも呼ばれたのである。それが、二人の愛の巣だったのである。

  最近では、歴史学の側からの反論もあるが、この時代の婚姻形態は、歌を見るかぎり、男が女の家を訪ねるいわゆる「妻問い婚」である。訪問をする男にしても、それを待つ女にしても、その建物内に母親などの女側の家族が居ては困るだろう。したがって、男の訪問を受けるための建物が、家の敷地のなかに建てられたことが、想像されるのである。そこで、かの才媛・額田王も待つ女になったのであろう(巻四の四八八)。

  かつて大抵の農家は、屋敷地内に「はなれ」をもっていたが、離れて建っていなければ困る事情があったのである。巻十三にはそういった愛の巣となる建物が建てられていないために、恋人と逢えないことを嘆く歌もある(三三一二)。また、恋敵の妻屋を焼いてしまいたいという激しい嫉妬の女歌もある(三二七〇)。『万葉集』おそるべし。

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