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「盆」=「死」を自覚する時間

位牌とアルバム
  先日、阪神淡路大震災の避難所でボランティアとして、働いていた学生と研究室で話をする機会があった。彼は「お年寄りのひとは瓦礫から位牌を持ってきて枕元に置いているんです。位牌というのはそんなに大切なものですかねえ」と不思議そうに話していた。これは、民俗学によってすでに明らかにされていることなのだが、家の祖先祭祀の断絶を恐れて、災害時にその祭祀の対象となる位牌を持ち出すという行動パターンがあることは、よくいわれていることである。しかし、家の祖先祭祀自体があまり意識されなくなった今日では、位牌の代わりにアルバムを持ち出す人も多いという調査結果も出ている。第一、仏壇の無い家も多い、昨今である。しかし、位牌とアルバムに共通しているのは、どちらも過去の自分と現在の自分を結ぶ証となるという点であろう。アイデンティティという言葉で、説明するのが早道かもしれない。つまり、自己の存在を確認する証として、心のより所になるものが、位牌とアルバムなのである。

  授業中に「突発的災害に見舞われ避難する場合、現金・印鑑・通帳・当面の生活物資のようなものが確保されたあと、何を持って逃げるか」ということを、学生に質問したことがある。予想どおり、ほとんどの学生はアルバムと答えたが、約一割の学生は位牌と答えていた。ちなみに、その学生は全員、二世代同居者であった。

死を意識した夜
  私事にわたって恐縮であるが、しばしのご辛抱を願いたい。わたしは次男であるが、最終の住みかとなるべきお墓を、故郷の九州・福岡に持っている。これは、祖母からプレゼントされたもので、菩提寺の納骨堂建立に出資した関係で、祖母が自動的に手に入れたものである。小学生だったわたしを納骨堂に呼んだ祖母は、その一角を指差して、この場所が将来わたしの墓になることを告げたのであった。深い意味を理解していたとは思われないが、突然の恐怖が少年の日のわたしを襲い、一睡もできなかった思い出がある。生前に墓を建てる寿陵の風は縁起の良いことであるというが、それははじめて「自己の死」を意識した夜であった。

  その祖母も十年前に他界。遺品の整理をするうちに大量の成人用の手縫いの布オムツが発見された。祖母は自分が意識を無くしたあとのことを考え、常に通帳・債券類を整理していたばかりでなく、なんと自分の手で家族にもさとられずオムツを縫っていたのである。祖母も、常に死を意識していたのである。わたしは大量のオムツを見たとき、明治女の「気骨」と「美意識」のようなものを強く感じ−衝撃を受けた。

死を自覚してこそ
  とはいえ、祖母は死ぬまでその人生を楽しんでいた。ヘソクリで買ったと思われる大島紬の数々や、趣味の園芸で足の踏み場もない庭がそれを証明している(ただし、祖母の死後、不精な家族が丹精の鉢植えを引き継ぎはしたものの、それは全滅とあいなった)。祖母の生き方を見ていると死を自覚してこそ、はじめて人生が楽しめるといった観すらある。そんな祖母の生き方が、この夏わたしの胸に去来した。

  『徒然草』第九十三段に次のような一節がある。それは「人皆を生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり」というくだりである。「生を楽しまないのは、死を恐れていないためだ」というのは、兼好流の逆説である。兼好は言う「存命の喜び」を知る者は、生を楽しむと。

  「お盆」は、亡き人を供養する時ではあるのだが、生きる者には死を自覚する時間である。命ある者は位牌と墓の前で家族の「再会」を果たし、亡き者はあの世から帰ってくる。そんな生と死が交錯する盆という時間の意味を、今年はもう一度考え直してみたいと思っている。別な言い方をすれば、盆という時間は家族の絆を確認する貴重な時間といえるかもしれない。

  そういえば、あの納骨堂にも長く行っていない。今年のお盆は、一昨年に結婚した女房をともなって・・・、あの納骨堂にお参りにゆくことにしよう。

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