話は十年前のこと。東京から関西に赴任した私は、とある講演を依頼された。話は『万葉集』についてである。丁寧に学説史を整理し、意気揚揚と退場すると、講師控室に、一人の熟年女性が訪ねてきた。話を聞いて、茫然自失、顔面蒼白になった日のことは、今もって忘れられない。
あんたな、死にかけてるこんな年寄に、あんな難しい話ししたら、あかんわ。わたしら、残り少ない時間とお金つこうて、『万葉集』の話に聞きに来てるのに、辞書引いて勉強してたら、その間に死んでしまうやないの・・・。
心のなかでは、「俺は吉本の芸人じゃない」と叫んだものの声にもならない。圧倒的なパワーである。そして、最後にこう言って、私の前を立ち去ったのである。
そやから、おもしろーて、楽しゅうーて、すぐわかる話ししてな。そやなかったら、あんた金取れへんで。
立腹はしたが、その時居眠りが多かったのは厳然たる事実であった。
現在、この強烈な体験から、私は授業や講演にさまざまな工夫を行なっている(最近はやり過ぎという声もあるが−)。つまり、関西では話術を磨かなくては、話を聞いてもらえないのである。
そうじて関西の学者は、講演がうまい。そこには、こんなこわーい聞き手たちがいたのである。なるほど、関西の芸人や料理人の水準が高い。高いはずである、こんな恐い客がいるのだから。
ところで、先日辛口のお婆ちゃんと再会を果たした。いわく、
おもしろーて、楽しいけど、あんたの話には深みがないわ・・・
もう何とでも言ってくれ!
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