24
タコ壺的学問形成

名刺交換のおり、相手方から必ず尋ねられる質問がある。「先生のご専門は何ですか?」という質問である。たいていは「国文学、とくに『万葉集』の研究をしています」と答えることにしているが、今日の学問体系というものは、細分化されていて、はっきり言って、それを正確に説明することは難しい。『万葉集』のうちでも、挽歌の史的研究を、葬礼と表現との関係から研究しております。主な対象は・・・、などと話していると三十分はかかってしまいそうな感じである。もちろん、相手の関心のありかを探りながら、最低限の説明に止めて場の雰囲気を壊さないようにするが、われながら呆れてしまうことがある。

  かくも日本の学者は、タコ壺的な小世界のなかだけで生きていこうとするのか? 外国の研究者と話していると、反省させられることがある。考えてみれば、大学院以降、一本でも多くの論文を書くことを指導されていて、そのために棲み分けをして局地限定戦の論文を書くことに熱中していたような気がする。

  もちろん、小さな部分を掘り下げることによって全体が見えるということもあるのだが、多くは小粒の学者が再生産されるというわけである。簡単にいえば、野球でバントの練習ばかりをしていて、バットを振る練習をしないのと同じである。だから、日本の学界はもう少し空振りに寛容になっていいのではないか、と思ったりもする。

  と、ここまで書いたところで、今は亡き師匠の亡霊が目の前に現われた。師曰はく「上野くん、バントでも振り逃げでもいいんだよ、塁にさえ出れば」と。これまた、一本やられた感じである。

HOMEデジカメ日記エッセイランド来てください、聴いてください読んでくださいプロフィール奈良大学受講生のページ授業内容の公開
マンガ研究業績おたより過去の活動サイトマップリンク集
無断転載、引用を禁止します。(C)MAKOTO UENO OFFICE. www.manyou.jp produced by U's tec