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考古学・歴史学への羨望

毎年、大学入試のシーズンになると、日頃は音信不通の友達から電話がかかってくる。とっいっても裏口入学の話ではない。彼らは、同じ国文学科や日本文学科に勤めていて、受験者数激減に、情報交換をしようというわけである。切り出しは、きまって「うちは○○パーセントも減ってね。ところで、君のところは・・・どうだ」である。ところが、同じ文学部でも歴史系や考古学系は、好調である。入試関係の会議で、他の教員から国文に向けられる視線は、ことのほか厳しい。

  これは、国文学が若い人に対するマーケティングに完全に失敗してしまったからである、と考えている。「文学青年」は絶滅したが、「考古学青年」や「古代史おたく」はいるのである。それは、『万葉集』や『源氏物語』を読む楽しさを、国文学者が若い人の心に届くメッセージとして発信しなかったからである。 実際に古代史専攻を希望しつつ、挫折して入ってきた国文の学生に『万葉集』の講義をすると、本当にやりたいのはこっちの方でしたという学生も多い。もちろん、ごますりは割り引くべきだが、古代人の声を伝える万葉歌の表現を読み解く楽しさに目覚める学生も多いのである。

  わたしは、古代学を次のように分類している。史料を読み解く歴史学は内科とすれば、直接に土を掘る考古学は外科。そして、古代文学研究は、心療内科であると思っている。天平の時代を生きた少女の恋心は、掘りだした土器を見てもわからないし、『日本書紀』にも書いてない。新聞は、一面記事が大切だが、読んでおもしろいのは、三面記事。そして、庶民の声を伝えているのも三面である。だから、国文の万葉ゼミにおいでよ、と言いたいのだが。

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