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一言の大切さを知る 〜言葉の重み〜

葛城の 襲津彦真弓 荒木にも 頼めや君が 我が名告りけむ
  (作者未詳 巻十一の二六三九)

 言葉というものを神とまで崇めた万葉びと。大和の葛城には、言葉の神、一言主大神がいる。葛城山の麓にあるこの古社には、樹齢千二百年と言われるイチョウの大木がある。葛城の里を見下ろす一言主神社の象徴とも言うべき木である。千二百年前と言えば、『万葉集』が編纂されたころ。私はお参りのたびに、『万葉集』編集の事情を教えてくださいと、この大樹に合掌するが、まだヒントすらいただいていない。

 その一言主神社の境内に、家形の万葉歌碑が建っている。揮筆者は、我が恩師、故・桜井満教授である。それが、葛城の襲津彦真弓の歌である。歌の心は、下二句にしかない。「頼めや君が、我が名告りけむ」とは、「信頼していたあなたが、私の名を言ったのでしょうか」という意味である。「我が名を告る」ということは、男性が女性の名を呼ぶということである。それは、そのまま求婚を意味することになる。

 古代においては、女性名は秘されるものであった。それは、心を許した相手だけに、こっそり教えるものだったからである。だから、古代の女性名というものは、伝わりにくいのである。紫式部とは、『源氏物語』の若紫の巻を書いた式部の家の娘という意味だし、清少納言は清原一族から出た少納言の娘という意味で、どちらも一族から出た高官の官職名を通称名としていたのである。当時女性は、親の官職を宮廷での通称名として名告るのを常としていた。

 つまり、男性が女性に名前を問うことは、結婚を前提としたつきあいを求めたことになるのである。そして、男性が我が名を告るということは、結婚を意味したのであった。つまり、これは、信頼していた男性から愛を告白された歌なのである。ならば、どれくらい信頼していたか、伝説の武将、葛城襲津彦が引く弓くらいに太くて強い信頼だったのである。力の強い武人が引く弓は太くて強い。作者の女性は、それほど信頼していたのである。信頼していたとしても、人は愛に迷うもの。それがふっ切れた日の歓びを歌った歌と言えるだろう。

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