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なぜ、柿本人麻呂は偉大なのか 〜やまとうたの伝統をつくった人〜

笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば
  (柿本人麻呂 巻二の一三三)

 いつの時代にも、キーパーソンと呼ばれる人がいる。では、本当のキーパーソンとは何か。それは、その仕事によって、時代を導く人のことであろう。

 日本の詩歌の歴史が千四百年あるとして、その中で最も大きな分岐点はどこにあるかと言えば、柿本人麻呂の登場と言うことができる。例えば、歌のかたちで考えてみよう。長歌という形態は、人麻呂の時代に頂点を極めるが、人麻呂以降急速に衰えを見せる。代わって、以後、現在に至るまで、短歌が中心の時代が続いている、と言えるだろう。例えば、『万葉集』の中で、最も長い長歌は、柿本人麻呂の高市皇子挽歌である(巻二の一九九)。実に、百四十九句に及ぶ壮大な叙事の雄篇である。一方で、繊細な短歌を残しており、有名な石見相聞歌のこの歌もすばらしい。恋人と別れて、旅立つ「わたし」。その「わたし」の耳に入ってくるのが、風にそよぐ笹の音。その音を聞きながら、「わたし」は恋人のことを思う、というのである。繊細な心の「ひだ」を描いた歌である。

 人麻呂は「やまとうた」のあらゆる可能性を試した歌人と言うことができる。極論すれば……人麻呂以降のすべての日本の歌は、人麻呂の模倣であるとさえ言える。 
  ということだから、人麻呂は歌の聖なのである。しかし、その一生はなぞに包まれている。というより、万葉歌以外に人麻呂の一生をたどる資料はない。

 史書には、いっさいの名を残さぬ大歌人。しかし、彼の歌は現在に至るまで、日本の歌詠みたちに影響を与え続けている。
  歴史というものは、史書に名前を残す高名な政治家だけがつくるものではない。だから、私はいつも学生に言う。君たちの中には、必ず歴史を動かすキーパーソンがいる。しかし、それが、史書に名をとどめるかどうかは別だ。

 時代を動かすキーパーソンというのは、ひょっとしたら、身近なところにいるのかもしれませんね。

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