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敗れたる者の声 〜大津皇子の歌〜

百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
  (大津皇子 巻三の四一六)

 会社の次期社長選びから、暴力団の跡目争い、党の総裁選び、中東の国王の王位継承などを見ていると、いつの世も人の心に変わりはないような気がする。こういった争いの源は何かというと、人が人を愛するということであろう。他人の子どもよりも、自分の子どものほうがかわいい……というのは、歴史や文学の人間関係を見るうえで、最も重要な原則なのである。 

 ここに、皇位継承争いに敗れた一人の皇子がいる。父、天武天皇は朱鳥元年(六八六)の九月九日に崩御。葬儀の準備とともに、次の天皇のことが取りざたされていたに違いない。葬儀がまさに始まろうとするその日、大津皇子は謀反を起こしたとされている。天皇崩御から半月、九月二十四日のことであった。

 さて、この事件によって、草壁皇子の即位への障害は取り除かれることになる。天武天皇と、う(廬+鳥)野皇后(持統天皇)との一粒だねである草壁皇子の即位を望んだ皇后が陰にいることを、今日だれも疑わない。ただ、実際に謀反があったのか、それとも陥れられたのかはわからない。しかし、『日本書記』持統天皇称制前紀の記述を見ると、持統天皇が警戒するに足る人物であったことは、よくわかる。『万葉集』は、その大津皇子の辞世の歌を伝えている。悲しい歌だ。

 この歌の景色は、人生の最期に見た景色なのであろう。それは、明日からは見ることができないからである。『万葉集』は、政争に敗れ去って命を落とした人びとの声も伝えている。というより、積極的に伝えようとしている。 

 敗者の声は、勝利者が書いた史書には残らないが、歌や物語はそれを伝えている。
  そうです。勝利者の歓喜の声だけが、歴史ではないのです。われわれは、歌に何を学ぶべきか……『万葉集』の勉強はまだまだ続きます。次回をご期待ください。

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