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万葉びとの秋は… 〜季節感から生まれる叙情〜

忌部首黒麻呂が歌一首
  秋田刈る 仮廬もいまだ 壊たねば 雁が音寒し 霜も置きぬがに
  (巻八の一五五六)

 平城京で暮らしていた役人たちは、秋になると故郷や耕作地に里帰りした。彼らは、稲の刈り入れのために、一時帰省したのである。つまり、万葉時代の役人の生活は、半官半農であると言えるだろう。平城京での役人の生活と、それぞれの故郷での農民としての生活という二重生活をしていたのである。だから、万葉びとは田園の詩人と言えるだろう。

 そして、収穫直前になると、男たちは田圃のそばに仮小屋を建てて、そこで生活をした。それは、収穫直前の稲を猪にねらわれるからである。その仮小屋のことを万葉びとは、カリホとかタブセと呼んでいた。収穫前の田圃はことに猪にねらわれやすいので、男たちはカリホとかタブセで寝ずの番をしたのである。そうして収穫が終わると、そのカリホは壊されることになる。したがって、カリホの撤去は晩秋の風物詩だったのである。

 歌の内容は、「秋の田を刈るための仮廬もまだ取り払っていないのに、雁の声が寒々と聞こえてきた。(早くも)霜さえ降りているか、と思われるほどに──」というものである。この年、忌部首黒麻呂は、「いやー、今年の雁の飛来は早いよなぁー」という印象を持ったようである。つまり、今年の冬の到来が、例年より早いということを歌っているのである。

 ということは、例年なら、仮廬を撤去する季節に「雁が音」を聞き、それと相前後して霜が降りるのが一般的であった、ということになる。黒麻呂の居住地ないしは所有する耕作地では、<仮廬の撤去の季節><雁の飛来の季節><初霜の季節>が、相前後していたようだ。それを経験的に知っているために、このような表現が取られたのであろう。

 季節には季節の労働があり、そこからおのずと季節感が生まれ、季節に対する情感というものが生まれてくる。その風物に対する情感が和歌の叙情の母胎になっているのである。

 冷暖房完備のビルディングの中で一年中働いている現代の日本人。万葉びとより豊かになったのか、貧しくなったのか?読者の皆さんは、どう思われますか?

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