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139 春野

気取らない言葉でズケズケとものを言う、それも東北弁でまくしたてる「おっさん」。私が室井東志生先生にはじめてお会いしたのは、四、五年前のことであった。とある宴会の折、亡くなった加藤晨明先生と昔の修業について語ってもらったことがある。「そりゃ、上野先生ねぇ、むかす(昔)はねえ、便所の掃除から修業すんだからさぁ、こんじょ(根性)の入れ方が違うのよ・・・」といろいろ語っていただいた。その日もご機嫌で、飲むほどに怪気炎を上げておられたが、若い画家に言葉をかけるなど、見えないところで気を使うのが室井流である。やはり、苦労人なのだ。私は、一回お会いしただけで、敬愛もし、尊敬もしている先生である。

 巻頭歌は、当初加藤先生が描くことになっており、私もお手伝いをしていたのであったが、その加藤先生が急逝し、室井先生がこれを引き継がれたのである。ために、私はこの作品のスケッチに立ち会う幸運を得た。室井先生は、会場に着くなり「こりゃ、描きたいきもつ(気持ち)になってきた」とスケッチを開始される。お茶を出す暇もない。そのまなざしは、まぶしいほどに真剣で、それはあぁ画家の眼光というものはかくなるものか、と思い知らされた瞬間であった。

そのうち、何を思ったか室井先生は、衣装つけたモデルを歩かせたり、手を振らせたりする。動いたときの衣装のしわのより方や、微妙な着崩れを見るそうなのである。そして、布地を触って、その質感を確かめられる。聞くと、そういう質感がわからなければ、日本画というものは描けないのだと言われる。だから、この絵を見る時には、衣装の質感や、人物の指先を見てほしい。人物を肩越しに見る構図は、間違いなく雄略天皇が、若菜を摘む乙女に問いかける視線と重なるはずである。

 実は、『万葉集』の開巻第一の歌は、天皇の求婚歌なのである。国土統一の英雄と仰がれていた雄略天皇は、高らかに歌う。
   籠も 良い籠を持ち
   へらも 良いへらを持って
   この岡で 菜をお摘みになっているお嬢さんがた!
   家をおっしゃい 名前をおっしゃいな・・・
   (そらみつ) 大和の国は
   ことごとく 私が君臨している国だ
   すみずみに至るまで 私が治めている国だ
   私の方から 告げましょう
   (大王の)家のことも (わが)名前のことも           (巻一の一)

  若菜を摘んでいる娘たちの前に現われた天皇は、まずその籠とへらを誉めるのである。そこで、天皇はさっそく求婚。最後に、自らのヤマトの統治を高らかに宣言して、『万葉集』は始まるのである。
室井先生は、天皇から声を掛けられた乙女の喜びと緊張感を表現されたのである。だから、私はこの絵を雄略天皇になったつもりで眺めることにしている。畏れ多いことだが・・・。


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