このページは、上野が2006年に発表した「おもしろ古典教室」の中から1節ずつ、
本編をホームページ上で楽しんでもらうためのページです。
1週間に1度、1章分(全11回)更新します。さあ、どうぞ。

おもしろ古典教室-7
 

学んでも自分で考えないと、勉強する意味が無い

 孔子大先生はいいます、古典を学ぶと楽しいよ、と。対して、扁じいさんはいいます、古典なんて学んでも、何の役にも立たないよ。でも、そういう二つの考え方もあるんだということを、わたしに教えてくれたのも古典なんですよね。皮肉というほかありません。

 古典なんて古人のカスだ。そのカスをありがたがって教えている古典の先生はカスのなかのカスだと、二十歳のわたしは、この部分を読んで苦笑しました。当時は、古典を学ぶ大学生だったのですけれど。しかも、教員志望の。

 わたしは、純朴な文学青年ではなかったので、悩みはしませんでしたが、それからというもの、本を読むということについての考えを新たにしました。読んだ事柄について自分がどう受け止めるのか、それがもっとも大切なことである、と思い至るようになりました。一番大切なのは、「今」と「自分」なんです。『論語』為政第二では、このことについてこういっています。拙訳で示してみましょう。

 孔子先生は言った。本や先生から学んだとしても、自分で考えてゆかなければ、生きてゆく道など知り得ないだろう。けれど、自分で考えるだけで、学ぶところがなければ、道から外れて危険だ、と。               
(『論語』為政第二)
→書き下し文 巻末掲載

 つまり孔子は、学んでも自分で考えないと、勉強する意味が無いよ、と言いたいのでしょう。もちろん、他人や本から学ぶ姿勢を忘れては危険だから、両方が必要である、といっているのです。

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