「今」と「自分」が大切なのであって、古典や過去が大切なのではない
以上のようにわたしは考えていますので、大学で行なっている古典の授業では、こう言っています。古典だからすばらしいのではない、その古典を読んでおもしろいとか、たのしいとか思う「今」と「自分」がすばらしいのだ、と。美味しい料理はすばらしいものかもしれませんが、味わうのは「今」の「自分」の舌です。ご馳走だって、体調が悪いとまずく感じられますよね。
また、どんなに鏡が高価でも、姿を映そうとする人がいなくては、鏡としての価値は世の中に存在しないのと同じです。古典は、今を映す鏡ですが、同じことがいえるのです。つまり、古典を学ぶ人は、「自分」が「今」読んでいるんだということを強く意識して、読んでほしいのです。そうしないと、古典は過去の人間の残した単なるカスやゴミと同じになります。
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