言葉を理解すること、心を理解しようと想像すること
蛇足になりますが、この章の終わりにこんな話をしておきたいと思います。『荘子』の文章の内容と重ね合わせて、考えてみてください。怪我をして、ある人が「痛い!」と叫んだとします。でも、叫んだ人の痛さを、他人は経験することができません。しかし、「痛い!」という言葉から、その痛さを想像することはできます。また、状況からそれを想像するでしょう。
やはり、言葉は言葉で、記号でしかないのです。したがって、記号である言葉の背後にあるものを、聞き手や読み手が考えたり、想像したりしないかぎり、言葉を理解したことにもならないし、本を読んだことにもならないのです。
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