久しぶりに祇園のあきしのさんへ。あー、美味しかった。母が骨折しても、遊びは止めません。あしからず。
博多・小倉・門司・下関・尾道と歩きまわり、無事帰還。帰りの新幹線の中で。母の骨折がちょっと心配。
志賀直哉旧居。こんなところなら、いい原稿書けますよね。
坂と海、一歩歩けば、景色が変わります。土壁と海、腕がよければ、よい写真が取れるのだが・・・。
早春を楽しみました。ロープウェーから。
尾道は坂の街。まぁ、素人写真だから許して?
憧れの尾道へ・・・。
たそがれを楽しむ。
和刈神社からのぞむ関門架橋。この日のお気に入りですが・・・。
いい色出してます。関門架橋。どう、この構図のバランス。
海峡の黄昏。司馬遼太郎のような気分になりました。
下関、海峡の町の洋館。洋館の中の畳、近代やなぁ。日本の。
藤原義江は下関出身だったんだぁ。父はリンガー商会に務めていたとか、母は琵琶芸者。そうかー・・・と学ぶ。
関門トンネルを渡りました。映画「チルソクの夏」でおなじみです。
関門レトロ。1日遊べますね。ここは。
関門海峡へ。小学校以来です。
函館と同様に、突如と出現した近代なんですね。八幡製鉄所以来。
お目当ては北九州文学館。九州文学が元気だったころを思う。火野葦平、岩下俊作、劉寒吉、横山白虹・・・読まなくっちゃ。
小倉に行きました。憧れの小倉へ。ちょっと見たいものがあるんです。
元寇の蒙古軍の碇。歴史は触ることができます。博多でモウコが来るといえば、鬼が来ることです。泣き止まない子どもには、「モウコが来るばい」と叱ります。
古刹、承天寺へ。中世の日中交流史には必ず登場するお寺です。
久しぶりにマミーと食事。西鉄グランドホテルにて、イタリアン。この翌日に、なんと母は骨折。泣ける。若久公民館で大腿骨骨折。小倉から引き返して、見舞い。兄貴と義姉はたいへんだろう。私も役に立たねばならないのだが・・・。
ここは変わらないわ・・・。福岡市南区野間です。
家の近くのテレビ塔。高台になっています。よく、散歩に行きました。パインの氷菓もっていきました。もう、築50年?
上野が卒園した幼稚園。シスターも、神父様も、厳しかったなぁ。こっちも、甘えん坊だったけど。つうしんぼうには、基礎的生活習慣が身についていないとありました。今でも、そうです。
長堀橋の遊食屋にて、無事修士論文提出、合格を祝して、慰労会。陶板鍋・豆腐サラダ・鳥南蛮・ソバと満腹。よかったね。おめでとう。
朝日カルチャー肥後橋の13階はなくなります。そして、4月からは5階で授業です。ありがとうございました。これまで。この日は、学史とは過去の研究蓄積の再評価であると偉そうなことをぶつ。上野も年取ったのかなぁ、昔は学史なんて、馬鹿にしていたけど、年をとると学史が大切だとのたまってます。大学院のときは、学史なんてやる意味ないと思っていましたからね。
この日の卒業論文指導会には、お土産が。倉吉に帰省したA君が、名物の団子を買ってきてくれました。これが甘すぎず、美味しかった。ありがとう。
作業・思考・作業・思考・・・それしかありません。俺もできてないけどね。4516首からどんな情報を引き出すか。さぁ、勝負!
わが研究室の階下には梅ノ木が・・・その梅が開花しました。上から撮る!
わが研究室は上から花見!
おお掃除。一年ぶりかなぁ。いかん、と思って今日は掃除。キタナイ!
こうしてみると研究室も広い! 掃除を手伝う学生は偉い。
特高監察下、戦時中神戸で過した三鬼。神戸って懐が深いまちだなぁと感じる。そして、その人間描写は妙の一語。楽しく読めました。講談社の文芸文庫の渋さに脱帽!
尊敬する古賀十二郎と、丸山の名妓・愛八とのプラトニックな愛を描く。これは、長崎マイ・ブームの一環。
ううーん。本が・・・。
この日の講座は、椙山女子大学の大浦誠士さんが担当。友の会事務局の裏宗久さんと、ハイ・ポーズ!
というわけで、飲みに!
てんぷら、行きまひょか、ということで、法善寺横町の「島谷」さんへ。あー、美味しかった! 神戸の伯母さまにご馳走してもらう。いつも感謝しています。
夜の部も、当然売り切れ。
大入り袋を見せていただきました。そりゃ、満員札止めですよね! 大看板二枚なんですから。
高座が終わって、ちょっと一息。師匠、お疲れ様でした。この日は神戸の親戚、友人と相集って遊びました。