日中史に関わるところしか知らなかった李鴻章。そうか、こういう出世のコースを歩いたのかと納得。おもしろかったのは、日清戦争後に、渡欧していること。目からウロコの一冊。公私ないところが、近代軍隊とは違います。
やはり、クリスマス。おつかれさまでありんした。
乾杯! おつかれさまでした。とにかく、飲む。
なななんと、今回はシャンパンを。超豪華に、今日はやります。
おめーら、こんなもん欲しいんかと、叱る! でも、いいよ。受講生のお世話、よくやってくれました。
今回のスクーリングは、クリスマス。打ち上げはパーティをば! ささ!研究室でクリスマスパーティだぜ。
黄泉行神話。がんばって語ります。終わらないと、蘇れない。
後半戦は、もうここからは、全力疾走。声が潰れても大丈夫。やるぞー。がんばるぞー。
今年も、150名の生徒が古事記神話について考えました。いや、考え抜きました。
皆で平城遷都の詔を読み上げます。
朱雀門に登りました。平城遷都と古事記撰上との関係は・・・。みんなで考えます。
大極殿が、朱雀門からどう見えるのか。皆に研究してもらいます。
朱雀門の中心へ向かって歩いて行きます。これは恒例です。
そして、平城宮跡へ。まっすぐ、朱雀門へ。
二日目の午後は学外授業。まず、平城宮跡資料館へ。
全力投球の授業なんですが、声をうまく三日間持たせる必要があるのです。
もう、とにかく飛ばしすぎぬように、力をセーブしてゆきます。抑えて、押さえて、やってゆきます。
くつろぐスタッフ。皆、ありがとう。よくやってくれました。150人のお客様を迎えますからね。
今年もはじまった冬の陣。『古事記』づけの三日間。
冬に赤いものが好まれるのは、太陽の復活を願う心意から。これは民俗学の古典的解釈。
なぜ、冬に赤いもの、だいだい色のものが好まれるのか。
今日から提出日。皆できているかぁー。
あぁー、自分が映ってしまいました。
龍門の空。吉野の空。寒い!
心礎に溜まった水は、何を映しているのか。
龍門寺の塔の心礎です。
山道。落ち葉踏みしめて歩きました。
この寂しさが・・・。
滝つぼ。あぁー、冷たそうです。
有名な龍門の滝。
龍門寺は、奈良時代の代表的山岳寺院でした。そのし下馬場です。
ちょっと、お話を。天武天皇と壬申の乱について。今、天智天皇挽歌群書いているからね。しっかり、話さなくては。
桜木神社に行きました。天武天皇が一時期隠れていたという伝承のあるお社です。それにしても老けた顔だ。いかん。
橿原市教育委員会文化財局文化財課保存係の係長、平岩欣太さん。わが奈良大学のOB。発掘ごくろうさまでした。こういう卒業生がいることが宝ですよね。大学の。
大津皇子の辞世歌の碑。歌の表現については、読売新聞に寄稿する予定。堤の上に立って俯瞰して国見をすることは、藤原の宮の御井の歌にも出てきますからね。
池の近くに宮を建てれば「池辺の宮」と呼称するだろうとちょっと興奮してしまった。だから、上野は、どうしても百済王宮や新羅の雁鴨池を想起してしまう。池を見るということに、意味があるのでしょうね。あまり、独りよがりの議論ではいけないけれど。
まぁ、今の田んぼを水面と思い、小丘を池の中の島だと思えばよい。それにしても、広い湖面だ。香具山の北麓は、飛鳥以前のプレ飛鳥時代の宮の様子を考える上で重要な場所ですよね。
ちょうど、指先が半島状の島になって、指のまたが池になる構造。堤を歩けば、短い距離の移動で多様な景色を楽しむことができる。つまり、短い移動距離で、景色の変化を楽しむことができるというのが、上野的思考。ちょっと庭園苑池として、先走って考えすぎかな。お許しあれ。
たぶん、池を見るためのものだろう。池を見て楽しむ文化が6世紀にはあったのかと興奮。大きくて曲線があって、有名な池だったと考えられる。
池の堤の建物群を確認。なぜ、堤の上に建物が? 上野は簡単に、宮に付随する楼観で、池の景色を楽しむための施設と考えている。
上野もちょっと興奮した記者会見。大津皇子辞世歌の、「ももづたふ磐余の池の堤」を確認。もちろん、もっと北の桜井に比定する意見もあるが、和田萃先生の論証は緻密で、上野も和田説に準拠して、立論中。
それにしても、若いころあれほど退屈して、持て余していた時間は、いったいどこにいったのだろう。将来という時間が無尽蔵にあり、絶望的に人生は長すぎると感じていた。一方、今は時間との戦いだ。あと何年やれるかと不安で眠れない。もちろん、ただコツコツとやるしかないのだが。しょうがないよね、能力以上の仕事はできないのだから。
メルヘン・チックなわが大学。大学の運営については悩みも多いが、日本の歴史や文化を学ばんとする学生が今日も集う古代学のメッカ! わが学舎だ。そう思うと、頑張らなくては。
家路を急ぐ人びと。日は暮れて。
わが奈良大学の高の原駅。
今日は、同志社から大学に直帰。はぁー、や夕暮れ。せつない。
ファックスで送られた写真。おぁー、アンディー・ウォーホルの作品のよう。なんとなくわかるよね。何時か、プロフィールとして使おうか。
痛てててて・・・上野は五十肩。左手が上がりません。痛いよー。
そろそろ、買い替えようかと迷う! でも、履きやすいのです。しかし、みすぼらしいかな。けれど、そこが上野らしい靴だが。
松田浩さんは、巻5について。
岩下先生は、額田王の三輪山惜別歌についてお話。これを送別宴歌と見る説。
岩下武彦先生の発表。ためのある話し方ですよね。
美夫君志会の12月例会。ここはフレンドリーで、雰囲気がよい。若手はいい勉強場所だと思いますよ。登竜門に最適ですよ。
中国通の軍人エリートの回想記。ディープに中国に入った軍人の回顧録。私が驚いたのは、外交交渉の相手が替え玉だった宋子良の話。ちょとスパイものみたい。中国通の著者は、戦後台湾で活躍した旧軍人と会ってますよね。ここは泣かせます。おそらく、和平政府では陳公博派で、周仏海は嫌いみたいですね。ちなみに、仏海の盟友・金雄白も今井を嫌っている。いつか、小説書きたい。
村田右富実の「世相を斬る!」。舌鋒するどすぎ。
祈る広川さん。何を祈っているのか? 焼鳥屋で。
ムード・メーカーの大浦誠士さん(中将)。通説批判の天才だと思う。
二次会は、こうなります。村田さん、少年の顔に。
二次会は、こうなります。でも、どう見てもおっさんの戯れ。
温厚な現実派、影山尚之(軍司令)。
理論的リーダー村田右富実(参謀)。
おぁー、広川晶輝さん(大佐)。彼は紳士だ。
最後は、鯛めしで。うまい。ただし、オコゲで上野の歯の詰め物がはずれてしまう。
今日は、いつもの研究会飛ぶ鳥のおっさんメンバーでたのしく。
おふたりは斯界のエリートですからね。上野はもっぱら聞き役に。
古代史と古代文学と神社建築史の三人での討論。やはり、纒向遺跡についての話で盛り上がる。ただ、考古資料と記紀の年代観を結びつけるところは、難しいと思ったが。
上野は、ミモロの話をしました。まぁ、自然崇拝ですからね。これは言葉遣いに注目した研究。大したことないけど。トリは、纒向神殿遺跡で時の人・黒田龍二先生。
朝日カルチャー名古屋栄で、シンポ。テーマは古代祭祀と王権。盟友・脊古真哉さんがトップ・バッター。まあ、広くて深い人、驚きます。かれこれ25年の付き合いですからね。畏友です。
栄の朝日神社で。
はぁー。空が・・・。
ちょっと、ごめんなさい。いとおしいです。後ろ姿が・・・。
ロケットも。
科学館。バブル時代の象徴か?
中村正義展にゆく。日本画もここまでくると洋画と変わらない。すると、日本って何ということになる気がする。ただし、技法は確かだよねぇ。だからこそ、風雲児になれるのだろう。
タブの木あります。名古屋市立美術館のあたり。
はぁー、晴れたぁ。
今日から名古屋で仕事。宿は錦。旧大和生命ビルの外壁の飾り。
大分市のマンホール。申し訳ありません。一つの趣味です。
上野が丘の坂。今年のゼミ生に上野が丘高校の卒業生もいます。
美術館からの帰り道に。
日本画の重鎮の岩沢重夫先生の故郷。高山辰雄先生の故郷だったのかと・・・あらためて知る。
帰りは、歩いて帰りました。
大分市立美術館。こんな造形物もあるんです。
あぁー山が・・・。今度はゆっくり来たいです。
大分市立美術館に。
いよいよ懇親会がはじまります。
中西進学会会長のご挨拶。いつもながらダンディー。
辰巳正明先生。減私奉公の辰巳先生に脱帽です。
事務局のスタッフの密議。何やら、深刻な感じ。
やって来ました大分大学。
祝意を込めたデザート! おいしくいただきました。
研究室のスタッフにおめでたごとが・・・。祝わねばと食事会。よかったね。「いや重け 吉事!」でね。
国文学科の窓。窓の象徴性は・・・などと学生と常に語り合う(これは嘘)。
研究室へのいただきもの。ありがたく、いただきました。感謝!
周仏海について関心を持ち、再読。しかし、筆者の力量には驚くばかり。周仏海日記も読みはじめる。