皆ありがとう。お蔭でこの夏、乗り切れたよ。
夏休みから続いた研究室の仕事の区切りで打ち上げ。その折、手ぶれだがすごい傑作が生まれた。
対談後、角川ホールディングスの角川歴彦社長を囲んで食事会。おいしくいただきました。
いやー、楽しく話せました。歴史を動かす原動力って何とかね。
今日は作家の井沢元彦さんと対談です。どんな話になるやら。
黄昏だ。
三越なんですね。
屋形船で豪遊ですね。
SLの車輪。なんか「動力」という感じ。
なつかしーい。国鉄だよ。省線は知らんけど。
岡本彰夫春日大社権宮司が、ご講演。もう、上野とは、格が違います。すっすごい。酒の話。上野の講演の出来は・・・聞かないで。
塾友会、晴れてよかった。
春日大社の二の鳥居。
上野の講演の後、春日大社に中野和正神職。この方も、和敬のОB。いい話でした。
挨拶をする太田朝生塾友会会長。まさに企業のトップの式辞。脱帽です。
総会は、橿原市の橿原ロイヤルホテルで。挨拶をする、前川昭一塾長。懐かしい話ばかり。
お宿は、老舗あたらしや旅館。ここは、前川家の山守さんの家です。と同時に行者宿。ご主人も和敬塾出身で・・・すごいご接待。66名が泊りました。
初めて泊る奈良県天川村どろかわ。
14時からとにかく飲むのむのむ。もう、ハチャメチャなことに。
あまごの塩焼き。たまりません。
これから、お楽しみ行事が始まります。
前川喜作先生の遺徳をしのびました。上野はこの学生寮に12年間いた。大学院と講師時代。
墓参。前川昭一塾長。じじじつは、喜作先生の学生弔辞は、上野が読みました。もう、30年前にね。
上野は、東京目白の和敬塾出身。このたび、その同窓会にあたる塾友会の周年事業に出席しました。御所市室出身の実業家・前川喜作が設立した学生寮です。室の生蓮寺で、喜作先生の御法要。前川昭一和敬塾塾長。
暮れてゆく。はぁ、もう9月もゆくよ。早い。
高浜虚子が、わが郷里甘木に来たのは、嘉太櫨の力によるもの。結局、私は俳句はしないことに。このきさつは、時たまエッセイに書いている。ただ、句集『黄櫨帖』は、よく読んでいたが・・・。
戦前から昭和40年代まで、福岡の俳壇の中心的人物のひとり、上野嘉太櫨。遠縁ということもあり、よく読んでいた。吉岡禅寺洞や河野静雲の影響もあって、ホトトギスの句としては、やや軽く軽妙さがある。母親の俳句も、ホトトギスとしてはやや軽妙かな。
祖父・縁助と祖母・きくの。昭和20年代。このころは、わが家が全盛期。30年代、40年代と没落する。二人とも、かっこいいよね。 着ているものも高そうだ。でも、没落しなかったら、上野は衣料商の後継者になっていた可能性もある。でも、あかんわな、ビジネスなんて、私には。
父・康正。私のエッセイにたまに登場する。海軍中尉(ただし、ポツダム昇進)。岩井半四郎とそっくりなほどの美男だった。どうして、その遺伝子を私に回してくれなかったのか。たぶん40代では。お父さん、美男遺伝子独り占めしたでしょ。
高2の文化祭で。この時も、彼女作りたかったけどね。結局、わが人生でモテ期はなかったということか。寂しいよー。野心だけがぎらぎらしている。成績は、中の下か、下の上。上村紘一郎先生の日本史が大好きだった。福岡大学付属大濠高校で。
このころは、高橋是清フリーク。若い時の是清にならって、なぜか真ん中わけの髪型。じつは、今も、一応真ん中分けです。髪もあったね―。このころは。目は、切れ長なんだ。
高2の時のセルフ・ポートレート。まだ、いい顔している。たぶん、長崎の平戸で。当時から、長崎は好きだったからね。数年おきに、長崎フリークになるよね。今も。
高校2年生の時。志賀島の万葉歌碑で。なんだか気取っている。あわよくば、この時、海辺で彼女を作りたかったが、そうは行かなかった。声も掛けられなかったよね。福島君、そうだよな。太っていないから、まだ見られるか?
小学校5年の家族。姉が美人なのに驚く(いや、失礼、今も美人)。安芸宮島で。祖母は、家の中心と言う感じで、だいたい祖母が言うように、話は決まっていたと思う。私のエッセイに登場する博多の「ごりょんさん」という感じ。ただし、祖母は甘木出身だが。母は家付き娘。ゴールデンウィークの家族大旅行。山口と広島と愛媛かな。この時は。みんなおしゃれだったかな。
たぶん、小学校一年生。可愛い。末っ子ですからね。歯抜けになっている。現在、どうしてこんな顔になったのかと思うくらいに、表情が豊かだ。父・撮影。じつは、三十年ぶりに、アルバムを発見。しばし、お付き合いのほどを。アルバムの発見で幼少期を取り戻したぞ。
たぶん、今なら隔離されていたと思う。今でいう多動な子だった。小学校の時、IQがあまりにも低く、担任が心配していた。たしかに、大人が呆れていたような気がする。集中力がない子でした。今もない。生活破綻者?
どうして、こんなさびしい顔をしているのか。好きな写真。このころから内股だ。当時からひとりで遊ぶ子だった。
おう、わが五歳像。母と。七五三の写真。なぜか、カトリック教会で七五三。幼稚園が教会直営で、シスターと神父様が先生でしたらかね。でも、怖かったよー。
博多山笠の写真。落ちそうで顔がひきつっている。ふんどしをしている。わが家は、西流れでした。まあ、ローカルな話だが。
たぶん五歳かな。おそまつ君のシェーをしているところ。福岡市の香椎花園だと思う。この茶目っ気が、上野の今の文体にもあるかな。講演もそう。愛想だけはいいが、内容は空疎。内容はないが、サービス精神だけはある文体も、このサービス精神でわかる。
二歳くらいの私。もう、笑うしかない。今の悪人顔からは想像もできない。父の写真はセミプロでしたからね。戦前にライカ持ってましたから。したがって、この可愛さは割り引く必要あり。それにしても、今どうして人相が悪くなったのか。不思議だ。
悪ガキ3名。悪中年3名。こんなことして大丈夫。
市瀬雅之さん。久しぶりに飲めました。彼は紳士だ。われらがイッチー。
某氏。よくやるよ、皆50歳なのに。
今おぉー、向こうに光が。これが理想の光。極楽の陽光か。
奈良大学国文学科のとある午後。国文学科の廊下のドア。ここから、国文学科に。
こんなところかと、ため息。
権力のむなしさの象徴。
権力の象徴。
水上の極楽。
久しぶりだぁー。地上の極楽。
この水深は何を意味するのか。水底を見るかなぁー。
角楼です。
水の流れを見るのですね。ここは。
どんな遊びをしたのだろう。
人工都市の中の造られた自然。曲池の典型ですよね。水深は浅い。
渚のイメージなのかと思う。
ここも、いいよね。
ここ三年は行ってなかった。
平城京左京三条二坊の奈良時代の庭園。
久しぶりに母と。小さくなった母と。
はぁー、と思う。秋だ。
長月だ。
縄の浦の夕景。
ぼんやり出来ました。ありがとうございました。
ちょと、仕事が行きづまっているので、いい感じだった。
澤瀉久孝先生の歌碑。
縄の浦夕景散策。
いよいよシンポ。今日は司会でーす。
熱心なファンが詰めかけています。
シンポジウムがはじまります。ダンディーな坂本信幸先生。
湾に入るとほんとうに静かです。
いわゆる豊臣秀吉の残念石。
野の花、野の花だ。
山部赤人も、ここを、と思いめぐらす。
万葉の海ですよねー。
連理の枝か。
賀茂神社。社殿がスゴイ。
ここにケンペルもシーボルトも来たのか。そして、朝鮮通信使もかと思いをめぐらす。
賀茂神社へ。
そうか、自生する蘇鉄の北限なのかと・・・。
私がよく使う堆積した時間がここにはあります。
時間がゆったりと流れている。
久しぶりの海です。
室津へ。
ホテル万葉岬から。
歌人の小見山輝先生と。虎の威を借る・・・か。
北原白秋の生家の記念館で。
一日は、柳川の川下り。楽しかった。ゆったり、ゆったりと船は進みます。これを観光にしたのは誰? スゴイ。でも、上野はちょっと疲れている。
今回は、福岡の家の掃除を学生さんにアルバイトで頼みました。
福岡県の国語部会の先生たちと。楽しい!
今日は、和田萃先生も、お話。ふっ深い。というか、ディテールがすごい。
犬飼公之先生。じじじつは、私は『影の古代』『影の領界』のファンなんです。肉を切らせて骨を切るという感じで進む本質論。とにかく自説を述べることに悔いを残さない人だ。
とにかく、討論が熱い! 熱すぎます!