鈴木大拙熱にうなされる。とにかくスケールが違う。もちろん、いいかげんなところも多いが、大拙にしかないスケール感と味がたまらない。同時代の語り手としては、自然に自分を出せる語り手だと思う。そういう話法は、当時はまだ珍しかったのではないか。
肥らぬようにとにかく散歩I 『万葉集』でいうところの隠り沼(こもりぬ)ですよね。4月は鈴木大拙全集を読み、NHKのオンデマンドで「坂の上の雲」を見、とにかく、じっとしていました。この経験を活かさなくては。
肥らぬようにとにかく散歩H 木蓮が美しい。
肥らぬようにとにかく散歩G
肥らぬようにとにかく散歩F 早苗ですよね。もう田植えです。
肥らぬようにとにかく散歩E
肥らぬようにとにかく散歩D
肥らぬようにとにかく散歩C
肥らぬようにとにかく散歩B 歴史の石畳です。瀧坂の道にて。
肥らぬようにとにかく散歩A
肥らぬようにとにかく散歩@ 瀧坂の道を歩いてゆくことに。
雑誌『群像』に、エッセイを書く。題して「腰田低男氏の人生」だ。ちょっとよいかも。内容は、博多もので、自分の人生観を語る。なぜ、上野の腰が低いのか、その理由が、このエッセイでは明かされている。
とにかく、散歩して、体力を維持L
とにかく、散歩して、体力を維持K 人は、何かのために生きているのではなく、生きているから何かをするのだ。そう考えないと、人がなぜ花を愛でるのか、わからない。
とにかく、散歩して、体力を維持J 滝行はしなかったが。
とにかく、散歩して、体力を維持I
とにかく、散歩して、体力を維持H ここは久しぶりだ。
とにかく、散歩して、体力を維持G 夏の花、山吹。
とにかく、散歩して、体力を維持F 散歩する私。
とにかく、散歩して、体力を維持E
とにかく、散歩して、体力を維持D
とにかく、散歩して、体力を維持C
とにかく、散歩して、体力を維持B
とにかく、散歩して、体力を維持A 豆の花も美しい。
とにかく、散歩して、体力を維持@
民俗学の篠原徹先生から本をもらう。先生の遺書とか? この迫力。退路を断った本。民俗学は詩でなければならないとするのは、部分から全体を語る必要があるからだと思う。詩は、部分で全体を語る文学だ。
これが、遠隔授業の現場。ベルで合図して、授業をしてゆく。結局、音声のみをYouTubeにアップし、メールでやりとりをするという方法にした。録音中の様子。
ル・コルビジェか? 研究室の窓から。
辰野隆(仏文学)、本多顕彰(英文学)、吉川幸次郎(中国文学)の碩学のエッセイ。これは愛読書。辰野はボンボンの甘ちゃん。本多は闘争精神の人。吉川は学究肌。それぞれ違うが、そこに味がある。
上代文学会の大会も中止に。
サガンの翻訳で知られる朝吹登水子の1950年代のパリ日記。パリ熱再び。名門朝吹家の出で、付き合っている人たちのレベルが違うという感じ。サルトルとの交流など、興味深い。
神さまがくれた休日で読書。安部龍太郎先生からご恵与いただいた本。いやぁ、スケールがでかい遣唐使物語。
デジカメ日記を約半年ぶりに更新。
遠隔授業では、時間を区切るのでベルが必要と思い購入。
とにかく、テイクアウトを利用して、なんとかやってゆくしかない! 上野は、どれだけテイクアウトを食べていることか?
花は見る人がいなくても、咲く。
花は偉い――。
誰もいないキャンパス。さびしくて、さびしくて。
とにかく、今は、喉をしっかり保護しないといけない。これがわが研究室の加湿器。
ひとまず書けた。これから推敲である。がんばって、推敲だ。
新著は出版まで長くかかったので、安堵した。
新著、表紙があまりにも似ていて、いやな感じ。しかし、これが私の容姿かぁ?
学生たちに送る教材。何をどうすればよいのか、途方に暮れる。
共同研究室も、当面、使用停止のままだ。
いろいろ考えるが、どうにもならない――。
結局、コロナ禍で、授業再開のメド立たず。
こんなに桜が咲いても、誰も見る人はいない。「見る人なしに」だ。
奈良大学、玄関右手の桜。
とにかく、悪筆でも書きつづけなくてはならない。元原稿は、このように鉛筆書きである。
中公新書の原稿を書く。仮題だが、『万葉集とは何か』となろうか。