もちろん、今回は20%くらい。こんな色になる。おいしかった。
健康食としてもちあわを炊く。じつは、亡き母が好物だった。戦時中、よく食べたそうだ。ちなみに、わが家は1970年代まで、押し麦5割のごはんだった。
もちろん、鹿君も。たそがれのなか。
猿沢の池には、会津八一の歌碑があったのかぁ。奈良生活29年目にして知る。
その名もうれし、大仏館。奈良、奈良だ!
春日大社の一之鳥居。そして、御蓋山。
奈良県美から、奈良公園散歩。あぁ、夏だ。
日本抽象画の最大のスターは、白髪一雄か。今回の展覧会では、荻野アンナさんのおかあさんの絵も見ることができた。あの時代に、女流で抽象画。筋が通っている。
現代美術展にゆく。日本の現代、それも抽象画の世界。果たして市民権得たのかなぁ、と思う。
あるあるこんな花も。
高の原へ行く途中で。
大学のなんと栗の花が花ざかり。秋に山栗が落ちて来ることあります。
耳成山口神社。たぶん、もともとは麓に鎮座していたのだろうか。山の口だから。
耳成山から望む香具山。山をどこから見ればよいのか、桜井満先生の教えだ。
耳成山の三角点。今日は一日で三山制覇――。
耳成の池から望む耳成山。近景の耳成山だ。
佐々木信綱先生の二番歌の歌碑。これは、重みある歌碑だ。
香具山から見た畝傍山。ここまで来ると山容が変わる。丸く見えるようになる。
香具山山頂の国常立神社。本居宣長も詣でている。国見をしなくては? 大学1年生の時、『菅笠日記』読んだっけ。
おう、連理の枝かぁ?
春だ。花だ。それがどうした。
春だ。花だ。それがどうした。それでも、きれいだ。
日本芸能発祥の地として知られる土舞台。俳優協会の会長の森繁久弥も来た――。
夏みかんの花。
昨年の実が枝に残った上に花を咲かせる夏みかん。万葉の「橘を玉に貫く」を考えさせられた。花に糸を通すのか。それとも実に糸を通すのか。いや両方あったのか?
甘樫丘から見た耳成山。やはり、独立峰だ。
甘樫丘から見た香具山。やはり、近い。
甘樫丘から望む、畝傍山と二上山と。万葉学徒の聖地だ。
花で心がなごむのか。花よ、美しく咲いてくれ。
花で心をなごませるのか。鎮魂の空間だ。
悲しみもあれば、青春の思い出もあるだろう。合掌。
生き残った人びとの連絡用かぁー、と驚く。
あぁ、錨はこれかと掌を合わせる。船とともに生きる人生もあったのだろう。
1944年にマリアナ沖で、あえなく沈んだ空母「瑞鶴」とその乗組員の追悼モニュメント。
畝傍山では、こんな花にも逢えた。
ヒモロギ型の禁足地が山頂にある。ありがたく、掌を合わせる。
三角点だ。
畝傍山頂から望む耳成山。まるで島のよう。
畝傍山頂から望む三輪山。ここからも、大鳥の羽交の山に見える。
畝傍山頂から望む生駒山。生駒の山塊は大きい!
畝傍山頂から望む二上山。晴れてよかった。
フランス映画「エル」を見る(オンデマンド)。ミステリーとして宣伝しているが、サイコパスの話だ。心を閉じる、開く。そんなことできるかぁ? イザベル・ユペールの魔性の女が……鬼気迫る!
鈴木大拙や西田幾太郎とも縁のある雷門和尚を追いかけた小説。傑作とは思わないが、近代禅僧の生き方の一つとして読む。不思議な人物。出家、師家、住職、還俗、再出家……そして、という人生。
人はなぜ、花に惹かれるか。考えなくてはいけないテーマだ。人類史の問題として。
花は野にあるべし、山にあるべし。
まぁ、低山趣味だが、万葉学徒は、低山でよい――。大汗かきつつ、頂上へ。
天理市の大国見山に登る。奈良盆地を東から西へと望む。つらいが、やはり山登りはおもしろい。桃尾の滝から登る。
鈴木大拙の講演を聴くために購入。大拙のものまねの芸をしたいと思う。練習して、西村恵信先生に聞いてもらったところ、80点と言われた。