暑かったが……、今回の筑前の旅。収穫あったと思う。坪山豊先生曰く、旅半学。旅をしたら、学問の半分をしたことになる。
神と仏をテーマとした特別展。筑紫の信仰文化がよくわかりました。観世音寺の梵鐘も、至近距離で見ることができた。
九博のコロナでチェックシート。まず、チェックシートに記入をしなくてはならない。
ここまで来ると、志賀島や糸島の山々が見える。もちろん、怡土城も。津屋崎の正直亭前から。
津屋崎のマンホール。
まるで絵に描いたようなひまわり。
なんと大輪のひまわりが……。
名児山は人をなぐさめる山であるはずなのに、私の心はなぐさめられないと歌う。どれが名児山なのか。
峠を越えて平野、そして海という感じ。たしかに「大坂」だから「境」で、峠だ。
大宰府と宗像を結ぶ道といえようか。
大伴坂上郎女の名児山越えの歌(巻6の963)は、大坂越えといわれている。ただし、近時は、異説も提出されている。
かすかに見える沖ノ島。ここは、宗像なのだ。
京泊という地名も残っている。
織幡神社。この神社のある山が、「さやかたやま」。岬の突端の山で、この山が、航海の目じるしとなる。地島と鐘崎の間は、万葉時代から海の難所であった。
鐘崎は海人の発祥の地といわれている。おそらく、鐘崎の海人たちが、各地に潜水漁の技術を伝えたのであろう。近世においては、この鐘崎の海人たちが、各地に移住し、潜水漁法を教えた。
鐘崎は、沈鐘伝説の土地でもある。大正八年(1919)に、山本菊次郎が引き上げた巨石。じつは、海中の沈鐘として引き上げたものは、ただの石だった。
遠賀川が玄海灘に入るところ。万葉びとも、ここに停泊したのである。
遠賀川の芦屋といえば、芦屋釜。中世の鋳物生産地もここ。
遠賀川の河口で、水運を使って集荷した物資を船に積む港だったのだろう。入江のラグーンなので、当時は良港だったと思われる。
『万葉集』に登場する「岡の湊」。その「岡湊神社」が芦屋町の船頭町に現在鎮座している。
現在みあけ史跡公園として整備されている。
鹿田部田渕遺跡は、磐井の乱のあと、磐井の子葛子が大和朝廷に献上した「糟屋屯倉」かともいわれている。つまり、ここは遠賀川の物資を運び、磐井が大陸と通商したところなのかぁ――。
鹿田部田渕遺跡へ。
飛鳥時代から奈良時代の筑前国、糟屋評の官衙跡。糟屋の郡家ぞなもし。万葉に登場する夷守遺跡に比定される遺跡も近い。近くの「日守神社」の「ヒモリ」は「ヒナモリ」といわれている。
今日も、還暦の大宴会。踊る踊る。歌う歌う。ただし、ひとり。
文化人類学の今のエスニシティー論からのメッセージだ。このメッセージが最後に掲げられる。館全体のメッセージになっているのだろう。平和の学という感じ。大切なことだが、浅くないかぁ。
ソウルの男性用喪服。1996年収集とか。
金大建(1821‐1846)も、朝鮮半島へのキリスト教宣教師として取り上げられている。だから、文化人類学も歴史志向になってきているのか、と思う。何が民族文化なのか、今、問われている。
ジョージ・ブラウンのコレクションも、民博へ。学史を反省的に語るのが、今のトレンドか?
リニューアルで、学史的展開も視野に入れている。華族の土方家、久功のコレクション。不思議な人物だ。
爆破予告で、門扉を閉ざした民博。
なんと、この日は、爆破予告で13:00からの入場に。
昨年、東京国立博物館で行なわれた「正倉院の世界展」を見ていたので、宝物の保存のあり方と模倣技術のすごさを感じた。日本の螺鈿は、世界の螺鈿。
皆、集っている。鹿も、日蔭がよいらしい。鹿を見つつ奈良博へ。
とにかく暑いが、正倉院宝物を理解する上では大切な展覧会。是非、行きたい。鹿を見つつ奈良博へ。
奈良国立博物館まで歩く。鹿の子。
高の原近く。これには、座れない。オブジェである。
長岳寺の前のお地蔵さん。古拙感あり。
ふりかえれば、龍王山。いやぁ、焼けた。汗だく。
たそがれの奈良盆地。かなり下ったぞ。
木の子。これも、毒ありかぁ!
木の子。たぶん、毒ありだろう。
ついに山頂。奈良平野を一望できます。柿本人麻呂は、どこまで登ったのかなぁ。それとも……?
なんと蛇。ただし、死んでいました。
清流だぁ。冷たい流水だった。甘露。甘露。しかし、この後がしんどい。
山辺道には、こんな道もあるのです。幽谷の道。
山辺道を歩いてゆきます。いわゆる大和のクンナカを望む。少しずつ龍王山に近づきます。
これまた神々しい池。龍王山古墳群を縫って登り口に入ります。
驚くべき木の子。何だろう。木の子取り名人となれば、楽しいだろうなぁ。
サトイモ畑。たぶん自家用だと思う。おいしいだろうなぁ……。
崇神天皇陵は、いつ見ても神々しい古墳です。
崇神天皇陵を起点として登りはじめます。暑いぞ。龍王山山頂にまで、たどりつけるか!
まずは、天理参考館に。今日は、五輪にちなみ、スポーツがテーマ。
研究室でごはんは、いつもこんなもの。おいしく、いただきます。研究室の机の上。
委員会が終わったあとは、文化部の方々が、エッセイスト・クラブ賞のお祝いをしてくれました。難波のウイグル料理の店で。
わかりやすい物語だけを記事にしていないか? などなど、いろいろとコロナの記事検討をしてゆきます。
読売新聞のコロナ関連の紙面批評員会。楽しく話すことができました。
お祝いでいただいた手ぬぐい。ありがたい。がんばらねば……。これからも、これからも。
赤いちゃんちゃんこと頭巾。還暦だぁ。よぉっ!
ケーキも用意してくれました。努力しても報われないことが多いのに、表彰されるのは、ありがたいこと。
還暦と受賞のパーティーを、卒業生たちが企画してくれました。ありがたいことだ。
夕暮れせまる、美術館。良い一日だった。
五十三次を楽しむ。私は、広重はペーソスの人だと思う。
ここは、いつ来ても心が安らぐ。水の空間だ。
自分も、東洋の文人のひとりにならなくてはならないのだが――。なかなか、筆が使えない。
テーマは、納涼の書画。暑さには、「ゆったり」が東洋の考え方だ。
ここは、日本有数の書の博物館。日中の書のバラエティを楽しむことができる。
渡来人の足跡をたどる。2世代たつと彼我の差はなくなる。
オンドルの遺跡。その構造を学ぶ。
大津歴史博物館の堤康次郎像。ピストル堤、ここにあり!
まさしく、矛のような岩。唐津の立神を見ていたので、かか、感激。
立神信仰があり。海上に起立して、船人の目印になる山。
沼島に鱧鍋を食べにゆく。まさしく、旬。鱧の卵も食べました。
複製陶板画で有名な大塚国際美術館に。世界の美術館をぐるりと巡る感じ。いろいろ見たが、プラドの無原罪のマリア(ムリリョ)の写真。幼稚園時、この絵の写真を見ながら、アベ・マリアを聞かされたっけ。
とにかく、楽しめた。
また、うまく「うずしお」を見せてくれる。観覧船の操船技術がすごい。
もし、海中に放りこまれたら、海底に巻き込まれるのか。まわる。まわる。
この迫力。おそらく水深と関りがあると思うのだが。いやぁ、すごい。
今日は、大潮で最大とか。よかった。
こんな字を書く人なのか、と感動。
キリスト教的社会主義の賀川豊彦の記念館に。神戸を拠点としていたのだと学ぶ。
夏草や兵どもの夢のあと、そこはかぼちゃ畑に。
2年数か月だが、捕虜に対する人道的対応で、評価が高い。所長として、武士の情をかけた松江豊寿の人柄がすばらしい。
映画『バルトの楽園』の舞台となっている。
第一次世界大戦の日本軍青島攻略にともなう捕虜収容所の跡に。
徳島県の歌人クラブで講演。梅花宴序の話もする。
モラエスの展示室にもゆく。モラエスは、大好きで、リスボンの生家にも行ったことがある。「サウダーデ」は「もののあわれ」か?
書道文学館見る。書家小坂奇石の部屋を再現。