山に登る元気があって、夕陽見て泣けたら、人生最高だ。
布施駅で、夕陽が……。今日も、よい一日だった。
ケーブルカーで下ります。
ようやく、へろへろになって、ケーブルカーの「高安山駅」へ。
高安山気象レーダーB
高安山気象レーダーA
高安山気象レーダー@
このあたりの道をてくてくと。
十三峠までやって来ました。
やって来た道を振り返ると、そこには奥に生駒山が……。
移動して、大阪側を望む。ビル群も見えます。
ここまで来ると、金剛山、二上山、信貴山が重なって見えます。
移動して、また奈良側を望みました。
暗峠の石畳。
もちろん、暗峠も通ります。古代の日下直道ですね。
まさしく、空中散歩という感じ。
生駒から奈良側を望む。
これは、文化財だ。「大キ」は「大阪電気軌道」すなわち近鉄の前身です。
今日は、生駒山に。もちろん行きはケーブルカーで。
やはり、どんな時でも、奈良の秋は正倉院展。薬が印象的だった。
1950年代の銀座のクラブはこんなところかぁ、とうなる。これでも、ゴージャスだったのか?
田中絹代の着物のきこなし。そして、おさえた演技がすごい。しびれた。
もう、これは三谷幸喜の世界。そして、歌舞伎のゴージャス感の世界。たのしく見た。
滝を見るのも楽しい山登り。
そして、国見山。足はよろよろだが、なんとか、かんとか。
秋晴れです。
この道が、よい。こもれびだ。
千メートルといっても、登り始めは高いところですから。まずは、佳塚山に。
高原の秋の深まりを楽しむことができました。
とにかく、今年の秋は、楽しみたい。さらに、さらに秋深まる曽爾村へ。屏風岩。
特別展「墨の天地―中国 安徽地方の美術―」に行く。江南の文人文化について、あれこれと考えさせられました。
人生の機微をひとつのドラマに。小津映画に悪人は出てこない。みんなよい人だ。だから、話はややこしい。それでも、幸福に幸福に一つの家族が消えてゆく。
壷阪寺の石仏。
壷阪寺。インドの石材をインドで加工して作られた石仏。
壷阪寺は、不思議な雰囲気のあるお寺です。
壷阪寺に下ると五百羅漢が……。
登ると古城の佇まい。
石垣もじつに見事!
高取山から望む耳成山。
高取山から望む畝傍山。
高取山から望む二上山。
なんと、山上に池が……。
男根を露出した猿。さて、この源流は、朝鮮、中国、それともポリネシア?
なんと飛鳥の猿石がここまで運ばれているのである。高取城築城の際の石材として運ばれるも、畏れ多くなってここに祀られることに。
「文保委」とあるのは「文化保護委員会」のこと。こういう略し方があったのかぁ……。これも、今となっては文化財なのでは。
ここまで登ると、青息吐息。
沢に木の子が。食べられそうな気もするが……。危ない、危ない。
俳人・阿波野青畝先生の生家はここか、と思いつつ。
CGで再現された高取城。こんな威容を誇っていたのか。
このなまこ壁も、味があります。じつに不思議な雰囲気。
天下の名城高取城。
奈良県高取町の高取城に登ります。土佐というところが、街道の中心の集落です。大和の国名集落の一つですね。
原節子の演技は、一見大根だが、そこに「素」があって、ウマヘタの妙あり。
とにかく、今は「小津」に凝っている。笠智衆の味がやはりね。原節子のくったくのなさがいい。笠智衆の味が……。
今、よく編集者がこの仕掛けをしてくれたと思う。浮草であることを知っている男たちの歎息が聞こえてくる。
興行的には苦戦のようだが、今の技術でしか撮れないミッドウェイ。もちろん、米寄りだが、それでもまだ公平だ。
明治になるとこんな聞き書きも残るのかぁ、と思った。じつに楽しい。楽しいのは、年末大掃除のあと主人を胴上げする習俗があったこと。
小津、小津、小津。これも、60年前の心象風景。会社の重役なら、お手伝いさんがいたころの話。クセのある女たちの光る映画だ。
最後は桂川町へ。桂川町の王塚古墳の壁画のレプリカ。
ふと見ると……。大分廃寺近く。
大分廃寺基礎A
大分廃寺基礎@
新羅の文化が定着した土地です。
大分廃寺から望む英彦山。背景に霞んでいる山です。ここまで来ると英彦山が見えます。
香春三ノ岳。ここも『万葉集』に歌われています。田川郡香春町。
河内王墓。地方の挽歌は珍しい。田川郡香春町。
田河道(田川道)の推定地。田川郡香春町。
鏡山大神社へお参り。田川郡香春町
豊前の鏡山を望む。田川郡香春町。
豊前の鏡山へ。手持女王の歌碑。巻3の418。田川郡香春町。
豊国の企救の高浜の歌碑(巻12の3219)。北九州市長浜の貴布祢神社で。