ナチスの血の粛清を担当したハイドリッヒの伝記映画。前半は、ハイドリッヒの栄光と挫折を描き、後半はプラハでのハイドリッヒ暗殺と、暗殺後のナチスの報復を描く。昨年「ハイドリッヒを撃て」を見ていたので見た。大流の中の個人の非力を思う。いや、それでも、歴史は人が作るものなのだが――。
来年は61歳。しっかりしないとね。がんばることとコーディネートすることと、忘れてはいけない楽しむこと。この三つが60歳からは大切だ。
忙しくて、冬の月なんか見ないが、今日はよかった。
夜は「すぎ乃」さんで、豚しゃぶ定食をいただく。足はよれよれ。
デジカメでも、こんなに映るんだ。
外鎌からだと、三輪山はこう見える。
南北朝時代の石垣も。
やはり、三山は奈良盆地、クンナカのランドマークだ。
外鎌山からだと、香具山と畝傍山がこう見える。幻想的だ。
外鎌山山頂から望む畝傍山。
外鎌山山頂から望むとこう見える。二上山と耳成山。
宮都と陵墓地選定の関係。延喜式と記紀から、一つの考え方が導き出せればよいのだが。皆、悪戦苦闘している。
もちろん、舒明天皇陵に詣でなくては。国見歌の天皇ですから。
なかなかの風情。大和という感じ。
これをどう読むか。オシサカ、オッサカ、オサカ。難しいぞぉ。国語学の先生なら、試験に出すよね。
山頂の霊畤碑へ。
歩いて、歩いて、ひと山、ふた山と越えてゆく。
道は続き、鳥見山をめざす。
鳥見霊畤遥拝所の碑。皇紀2600年(1940年)で、さまざまな動きがあった。全国で古代史、神話ブーム。
神武天皇ゆかりの「大孝」の碑。
年末、桜井市を歩く。まず、等彌神社へ。「トミ」の地は、神武天皇の聖跡比定にして、跡見すなわち、大伴氏の跡見田荘の地なんだよね。
松阪から奈良へ帰らなくては。勉強、勉強。勉強しないとね。
樹敬寺の本居父子のお墓に詣でる。ここには、実業家原田二郎のお墓もある。
もちろん、本居宣長と春庭のお墓に詣でねば……。樹敬寺さんへお参り。国語学の田辺正男先生が、「スプリング・ガーデン」と言ってましたね。
真淵と宣長。まさしく、江戸時代の通信と交通が生んだ師弟関係で、中世ではこうはいかない。学問のかたちも、時代とともに変わる。今は、大学中心時代。
なるほど、松阪の一夜の場所は、ここかぁ、とうなる。
三井家から市に贈られた銅像。三井発祥の地だから、銀座三越のライオンがここにもいる。
宣長の学問を支えたのは、伊勢商人の経済力だ。つまり、宣長も、町人学問なのだ。商人の学問だからこその合理性がある。
松阪市のマンホール。ただ、この鈴の意味をどれだけの人がわかるか。
本居宣長とその子孫を見つめてきた松。松は残った。
本居宣長がすごいのは、すべての原稿、草稿類が残っていること。18世紀の知識人の思惟がすべて明らかにできること。これこそが、世界古典文化遺産だと思う。
今から考えると、小さな家だとも思うが、当時としては大家だったのでは? とも思う。鈴之屋。
松阪城を歩いて、ふたたび鈴之屋へ。ここを、宣長先生、歩いたのかなぁ。鈴之屋。
鈴之屋の風情がすばらしい。腰を落ち着けて、じっくりと。これが古典研究の基本です。
久しぶりに本居宣長記念館へ。「宣長の見た日本」展。
久しぶりの上京で、安部龍太郎先生と山ノ上ホテルで会食。四月から、日経新聞で大型連載決定とか。阿倍仲麻呂の大作が読めますね。
コロナは、時間を早めることもあるのだなぁ、と実感。文章が美しい。
店じまいのあいさつが見事! それにファンが答える。
西洋の絵を見て、日本の画家が絵を描き、屏風にしたもの。
やはり、四都図は見たい。港の街、神戸らしいコレクション。
コロナ禍のなかの館蔵名品展で、神戸らしさが問われている。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の世界。
こんな見え方するのかぁ……と見る。
三宝院の特別拝観です。
もちろん、三宝院の庭も見ました。
白河天皇・皇后賢子の上醍醐陵。
なんと山頂には、陵も。
お堂ごとのお祭りがあって、信仰がある。また、それが束ねられているのが醍醐寺なんですね。
へとへとになりつつも、景色を楽しむ。
まさしく吉野と同じ山岳宗教の世界。
山中のお堂を見て歩く。
山岳信仰の中心地ですからねぇ。
生駒山、さらには大阪のビル群まで見渡せます。
建築史がわかるともっと楽しいと思うが?
平安時代のお堂がずらりと並びます。
登って登って醍醐水までようやく到着しました。
一つ一つのお堂がみごと。
五重塔も見る。本山とか、守山とか、勉強しないとなぁ。
このお寺は、山岳寺院だから、少し他の京都のお寺とは風情が違います。
今年は、いざ醍醐寺へ。二年ぶりかなぁ。
奈良大の玄関に丑年の飾り物を飾る。乃村工芸さんからのいただきもの。可愛い牛太郎君だ。
失われてゆく世界、生と死の輪廻。永劫回帰の世界を描いている。名優オールスターゲームみたい。
大きなドラマは描かずに、心の起伏を描く小津安二郎映画。
小曽根真と小野リサのクリスマスコンサートへ。このクラスになると演奏というより自分の空間劇場に出現させるという感じ。
高畑町を歩いていると、ほら、夏みかんがぁ……。
奈良写真美術館「忘却の彼方へ」を見る。古写真から1980年くらいまでの日常生活の写真展。ノスタルジックで、よかった。また、これほど、多くのよい作品を見ることはできないから、よかった。
土壁が風情あるなぁ。
道標もみごと「奈良福井の大師」。駆け込み寺として有名です。
飛火野です。ここは、スコットランドかぁ。
雪消の沢あたりを散歩。
奈良博の藤棚。
御蓋山へもお参り。奈良博から、こんなに見えるとは!
今年のテーマは、春日信仰の美術。こんなにたくさんの春日曼荼羅が見られるなんて――。祭りの歴史と風土について考える機会となった。
八幡神人の活動と座の結成。まさしく中世商業史の世界。
大きな塔の心礎もありました。離宮八幡。
河陽離宮も、発掘されていて、当時の様子がわかります。しかも、この地は、山崎の油座の根拠地。
離宮八幡宮へ。ここは、嵯峨天皇(786-842)の河陽離宮があったところ。
向こうが、石清水八幡宮のある男山。これほどの距離しかない。ここで山崎の戦も行なわれた。
明智光秀軍と豊臣秀吉軍が激突した地です。
戦いの文字通り「天王山」である山崎合戦の地、天王山。
天王山からは、なんと、大阪のビル群も見えました。
天王山は、京と大阪の交通の要衝の地。石清水との間は狭く、丹波へもこの道を通らねばならない。つまり、ここを押さえると畿内の物流を支配することになる。
豊臣秀吉一夜の塔。
大黒さんの宝積寺。大金持ちになりたいので一拝。
まずは、宝積寺さんにお参り。
それに、ここ水無瀬川は、連歌の里です。
どうしてここが「天王山」なのか。天下分け目の戦いになるのか。大山崎へ。向かいの石清水には、戦神がいて、近畿の動脈は、ここなのだ。
来年も、また来年も、健康でと思う。生きていれば、観劇のチャンスもある。
こうでなくては……。京都の暮は。
パーソナルディスタンスとっての観劇です。いつ、それが思い出になるのだろう。
本年は三部制で、見ましたよ。熊谷陣屋。仁左衛門さんのおさえた演技が光ります。
もうひとりの発表者は、鈴木喬先生。こちらは、内容がしっかりしていた。
がんばって、語ります。アクリル板の前で。
再開直後にもかかわらず、40名近い人びとが来てくれました。学びの道は、ここにあり!
いざ発表。美夫君志会。半年ぶりの開催です。
源氏鶏太以前の元祖サラリーマン小説の世界。水上瀧太郎は『三田文学』の重鎮。
夏に映画見て、さらに読んだ水上滝太郎の映画『大阪の宿』の文学碑。
猿丸神社。ここは、お茶の里。
猿丸神社。もちろん、狛犬ではなく。
猿丸神社へ。猿丸大夫を祀る神社。
ふと見れば、鴨たちが。
なんとか、頂上に!
大峰山めざして、いよいよ山登り。枯葉の道をゆきます。いやぁ、つらい。
「天皇」という地名もある。奈良の田原との関係を知りたくなるところ。
志貴皇子(田原天皇)ゆかりの地との伝承がある土地です。
大宮神社へ。
この皮で酢の物を作るのか、今はいろいろな食べ物があるらしい。
干し柿と、その皮。干すとおいしくなる。野本寛一先生の世界。
宝来講では、三泊四日で、奈良から伊勢まで歩いていた。日の出旅館は、三日目の宿。なつかしいなぁ。
奈良大学鎌田道隆研究室の宝来講で泊まっていた旅館。
藤六の世古。なるほど、伊勢は地方でも全国区なんだと思う。それは、奈良も同じだ。
世古は、セ(狭)コ(場所を示す接尾語)だろう。つまり、小路、路地のことだ。
昼は、伊勢名物のうなぎを食べました。なるほど、東西の「よいとこどり」だと納得。ただし、私には少し、からい。
まさしく、街全体が神領という感じです。
外宮から、月夜見さんにお参り。古今伝授の東家の門も見る。
映画のセットみたいな旅館。いろいろなドラマがあったはずだ。
樹木崇拝が残っている。折口たちは、クリスマスツリーも神籬だと感激した。
箕曲中松原神社の境内に楠を祀る神社も。
伊勢市のマンホール。
ここかぁ、本居宣長先生も泊まったのはぁ、ここなんだぁ、と思いつつ……。
もちろん、猿田彦さんへもお参り。来年は道が拓けたらいいなぁ……。
とにかく、内宮さんから外宮さんまで歩くことにした。
慶光院と伊勢については、興味が尽きない。まさしく、日本型のシンクレティズムだ。
お伊勢さんにも、社殿がない神が。折口も、柳田も、大場も、そこにしびれた。
それから、各社をめぐる。シンプルな造作と神話がセット。
内宮さんに、まずお参り。たくまざる聖域。親しみのある聖域がすごいと思う。
山があって、丘があって、川があって、お社がある。日本のどこにでもある景だ。しかし、それが尊い。
久しぶりに歩くと、お伊勢さんは、やはりお伊勢さんだ。
皇學館大學の先生方に年末のご挨拶をするつもりでしたが、今回は、TELのみ。お世話になりました。
文献調査は、古典研究の基礎にして、帰結。だから、難しい。だから、恐い。
御師葉山大夫門をくぐり、神宮文庫へ。ここも御師家が移設されています。古典の一つの聖地ですからね。
宮殿のような建物。多くの考古学徒が、徴古館の仕事から、学問を始めている。大場磐雄しかり。
伊勢の美術館へ。今まで公開されていなかったものが展示されていて、すばらしかった。
お伊勢さんの鎮座伝承だよね。
まず、倭姫宮へ。昔、上代文献を読む会で『倭姫命世紀』読んでいたので。お参りせねば。
御師の寺というのは、こんなに立派だったのかぁ、と唸る。
伊勢は、沢村栄治が出たところなんだぁ。
夕方、着いてまず「大喜」で腹ごしらえ。料理が丁寧でおいしい。
影法師。自己を自己で認識できるのは、カゲ(影、光)を見るからだ。でも、その影は、ミ(身、実)ではない。
宿場の町の建物。時計が止まっている。
花どろぼうがいるのだろう。美しいものを独占したいのか。でも、それをこう書いて諭すやさしさも。
もちろん、亀山は、宿場町でもある。
亀山城を歩く。静かな公園になていた。中心から空洞へ。でも、中心というものはいつも、空洞かもしれない。
こういうところを見ると、近世と近代の切れ目なんてないのでは、地方では……と思ってしまう。もちろん、造作は違うだろうけど。
家老加藤家屋敷跡へ。落ち着いた城下町。家老クラスで、こういう屋敷か、とよくわかった。父方、足軽のわが家としては。
亀山市のマンホール。城下町で。
今日は、平城山から。笠置、月ケ瀬を通ります。意外に亀山は、近い――。
関西本線で、いざ亀山に。なかなか乗らないので、楽しみ。
はぁ、もうクリスマスかぁ……。
朝日新聞は、大阪創業。大阪を大切にしてくれて、ありがたいと思う。新聞社は、今や巨大な事業体だ。
ここも、村山龍平の聖徳太子関係コレクション展。聖徳太子信仰の歴史を学ぶことができる。朝日は、聖徳太子押しだ。
大阪市立博物館の「天平礼賛」へ。天平期の文化と、それに憧れた近代人の軌跡を辿る。視点がユニーク。が、しかし。古代への憧れなくして、古代学なし!
なんと、突然ヘリコプターが超低空飛行。落ちてくるかと思った。
帰りに弓弦葉神社へ。神功皇后伝説の神社だ。知らなかった。恥ずかしい。
来年の聖徳太子のご遠忌に合わせた展覧会。村山龍平というコレクターのスゴサがわかった。戦前だから可能だったコレクションだ。