トスカ。独自の演出で楽しい。このコロナ禍でよく見ることができたと思う。ぜいたくだったけど。
入口に大道具が展示されている。大道具を近くで見ることはないから、じっくり見る。
久しぶりに「新国」へ。モダンですね。天井も。
奈良大学の正面車寄せのひび割れ。まるで、ミロの抽象画作品。
竹内街道の旅。今日は、ここまで。石川を渡って、駒ヶ谷まで。
軽里という地名が残っていることにも感激。
峰塚古墳のあたりまでやって来ると二上山が大きく見えます。
河内飛鳥の歴史と大和飛鳥の歴史をどう切り結ぶか。それが問題だ。
塔の心礎。どんな塔だったのかぁ。知りたいところ。
野中寺は、渡来系氏族船史の氏寺。氏寺でも、古いよねぇ。
丹比氏と山上憶良。大きなテーマです。
金岡神社にお参り。
前回(1月15日)は、堺から三国ケ丘まで歩いたので、今日は三国ケ丘から歩きます。
なかなかの佇まいのお寺でありました。
山陽電鉄で須磨へ。須磨寺は、はじめてです。
堂本印象展にゆく。このまったり感。このモダン感が、印象さんですね。
もちろん、柿本神社にお参り。藩公の人麻呂信仰は、文化政策なんですよね。
明石といえば、時計台。そして、われわれ万葉学徒にとっては、人麻呂伝承の地。
じつは、父・康正は子供のころ明石にも住んでいた。祖父の六郎の加古川農林校長就任にともなって。
「近つ飛鳥」の渡来系氏族の造寺活動を最新の発掘成果で辿る。
なかなか歩けない「近つ飛鳥」へ。
ほんとに、よい節分にしたいです。新しく春風が吹いてほしい。
食事のテーブルに、こんな注意書きが……。
この一年の発掘を振り返る。個人的には、飛鳥苑池遺構の全貌が明らかになったことに関心がある。
修理を通して、文化財の研究が進み、さらに修理法が開発される。なるほど。
今日は、健康診断。どうなることか?
日本の大学世界ランキングの低下を憂うる書。選択と集中をしないと、世界の競争に遅れるというけれど、大学の多様性もあるからなぁ。世界基準を疑うべきでは。私には、一種のエリート主義に見えた。
京都の芸術力の底力を示す。「火の鳥」のパフォーマンス。とにかく、演出が攻めてくる。
平安神宮にお参り。神社も大変な時代です。
「ほよ」を見ることが出来ました。
よい写真、撮れたのでは?
明日香川は清らかに清らかに。
ミロク石へも、お参り。
なんと、菜の花が……。春なんですね。
飛鳥寺へも、お参り。
久しぶりに、甘樫丘に登りました。畝傍山、堂々たり――。
もちろん、仁徳天皇陵にお参りしました。
仁徳天皇陵を一周しました。古墳の巨大化のプロセスと社会変容を知りたいところ。
堺はイスパニア宣教師の街でもある。
堺市市役所から、百済古市古墳群を見る。
推古朝の「大道」ですからね。国道第一号だから、「大道」としか言わないのです。
もちろん、歩き始めは、堺から。堺市のマンホール。
大場盤雄の学問の大きさと人の魅力に圧倒されました。
虚に生きるか、実に生きるか。二人は、夢を追いかける。
百済寺のとなりが、百済王神社。ちょうど、大祓のころ。
伽藍配置もよくわかるんですよね。
古代日本は、移民国家。いや、国家ができる前から移民地域。
天王山と男山。戦神は、京阪の要衝におはします。
国見山の山頂へ。大阪平野を一望に。
低山趣味ながら、とにかく歩いています。
山岳修験の聖地でもありますよね。
なんと巨大な岩が……。
山道をてくてくと。
よく晴れた日でありました。
今日は、交野の国見山に登ります。
古本屋さんも、京都は格が違います。内藤湖南の扁額ですから。
京都市歴史資料館へ。鞍馬の火祭りについて学ぶ。
九条邸跡も見る。これが九条家かぁ……と息をつく。公家の生活は、興味津々。
こういう背景になるのかぁ、と仰ぎ見る。
貽範碑。朝彦親王の顕彰碑です。
御門が格を決めます。
下賀茂さんから、京都御苑を歩きました。
下賀茂さんに、お参り。
賀茂川の流れとサイコロの目は……。
北大路魯山人の生誕地も歩きました。伝説の人ですよね。
なんと、鶺鴒に出会えました。
上賀茂さんにお参りしました。
久しぶりに、京都、北山へ。北山、東山、西山、宇治、それが京町屋に住む人の感覚だ。
清水に。清水の富士山。よいことありますように。
駿府公園から見える富士山。よいことありますように。
庭園にも、もちろん富士山。よいことありますように。
お正月、富士山を見に静岡に。まず、駿府公園に。よいことありますように。
楽屋も、もらいました。なぜか、梅の花のお弁当2つ。
スタジオは、コロナ厳戒態勢。それでも、楽しく。
なんと、介護百人一首の最終回のゲストに。毒蝮三太夫さんと。
まさしく、人生が凝縮されて無駄がない映画。ところが、表現は隠喩的!
生きることにともなう、出会いと別れ。けっして、人は過去へは戻れないということを考えさせられる。