今日からは、奈良大学名誉教授に。不名誉なことは、しないようにしないとね。60歳にして、迷わず。
奈良大学最後の日。離任式です。なんとかやったかなぁ、29年間。
椿井大塚山古墳は、墳丘の整備もよくできている。
椿井大塚山古墳へ。この立地、首長なんだろうね。生駒を望む。
山城汚水のマンホール。
『今昔物語集』でも、説話レベルでは、かなり土着的ですよね。蟹満寺説話なんか見ると。
ここは、蟹満寺でしょう。古典文学徒しては。
万葉の「カバタ」へ。
橘諸兄のサロン、ことに山城の別業との関係をどう見るか。頭が痛い。
やはり、万葉学徒としては、橘諸兄の旧跡に詣でねば。
今年は、よい花見ができた。よかった。
地蔵院に。
遠くに霞むのが生駒の山々です。南山城の平野を望みます。
えっ、揮毫は久我建通なんだぁ。はじめて、建通の書を見た。
玉津岡神社へ。
まず、小野小町の墓に詣でる。
グラウンドの土手に土筆が。
佐紀の桜は、30回見た。はて、来年は?
花は、幸福の象徴? 無常の象徴?
花、それはうつろふ命。もう、29年も、私はこの大学にいる。
リヒテンシュタインの王家のコレクション。私たち日本人の国家観は、狭いと思う。欧州にゆくといろいろな国家のかたちがある。そして、王家のコレクションも。
おう、わが大濠――。上野は県立高校には、落ちたけどね。
やはり、晴天グラウンドはすばらしい。甲子園にしかないものもある。
上野が卒業してから、偏差値急上昇。おぼっちゃま校に。しかも、今は女子部あり!
わが母校・福大大濠の応援に。
日本という国は、キャッチアップは得意で、準主役がいいところ。主役をめざすと、いつも失敗する。技術も改良が大切。田辺朔郎先生っ、そうでしょ。
おう、わが近代土木のパイオニア田辺朔郎先生の碑。
そんな人は、西田しかいないと思う。だとしたら、それは唯一無二の思想か。悪くいうと、知のガラパゴスでは? 信奉者には、申し訳ないけど、どう?
そうすると、西田をわかるということは、東西の、そのなかでも二つの特異な思考に精通する必要がある。
西洋哲学の知識体系を日本語で語り、そこに参禅体験から対決する。
禅を中心とする東洋の思想で、ヘーゲルの弁証法を越えようとしているのだろうが……。
鈴木大拙に凝っている関係で、西田も読み始めたが、もっとわかりません。
奈良大学退職記念本を作ってくれた末崎光裕さんと。パーチーはなくなった(なくなって、よかった)けど。饅頭本はできた。これが、じつに良い!
熊本県立大学の半藤英明学長と会食。松葉で。話に花が咲く。
そして、花岡山は、あの熊本バンドの誓いの地であった。まぁ、近代キリスト教文化の発祥の地のひとつですよね。
花岡山は、熊本城を攻略する軍事上の要衝の地であったが、薩軍の大砲では熊本城に届かなかった。
ビルマ戦に兵を出した地域に、戦後ビルマ政府からパゴダが贈られている。その一つ。
熊本のマンホールは、肥後椿でした。
パゴダのある花岡山。ここは、西南戦争の薩軍の陣地で、わが愛読書、石光真清の『城下の人』の世界。
今回は西南戦争の政府軍に敬意を表して、谷千城の銅像の前に――。
パネリストのひとり、隈研吾さんと。オーラを消してくれて、フレンドリーに話せた。
茅葺文化シンポジウムで講演。国務大臣、知事も来て、それはそれは盛会。
MBSの春の一大イベントだったラジオウォーク。しかし、本年はスタジオから……。コロナが憎い!
いちおうのレイアウトはできたが、ここでどういう仕事が出来るのか?
なんと二十歳の時に書いた書が出てきた。もちろん、写真撮影した後に処分。
新しい渋谷の研究室へ。このがらんどうに、本が入る。
コロナ禍で静かな静かな卒業式。これも、レジェンドになるはず――。おめでとう。大変だったね。
29年間お世話になった奈良大学の研究室を退去する日がやって来た。
ぞくぞくと演習室に運び込まれる本・本・本の山。いったい、どうすれば――。
いよいよ、奈良大学の研究室退去の日。本を運び出して、がらんどう。
人も時間も一期一会。その日の研究室。雑然としているが、それは私の知の宇宙でもあります。
茅葺の技術は、縄と縄結びの技術でもありますよね。
藁葺が美しい。
この家で、どんな人生があったのか、と思いをはせる。
菊家家住宅へ。18世紀初頭の住宅です。
まさしく、月ケ瀬渓谷!
歩いていると、梅香がふくいくと……。
梅咲き乱れる里です。
ここも、山茶の里です。
尾山代(おやみで)遺跡へ。奈良時代前半から平安時代の集落の遺跡。
奈良市月ケ瀬へ。
奈良大学のあしびの花。春が来ました。
春だ。
瓦積の基壇ですよね。朝鮮半島ゆかりの。
礎石の自然の凹凸面を残し、その自然面に合わせて、柱の底を削るという工法を使っているとか。
国分寺市の国分寺跡に――。
國學院大學博物館で、縄文早期の人骨の展示。恐ろしいほどに、残りがよい。