鎌倉新仏教論。今の研究史の流れは、よくわからないが、研究者の祖師に対する語りは熱いですよね。大拙も含めて。
江の島から、鎌倉へ。日蓮上人の辻説法の地に。たしかに、新仏教は、関東にも基盤求めますよね。
オリンピック2020の看板。これも文化遺産になりますね。
海上にある楽土なんでしょう。竜宮城のイメージ。
歩くと、いろいろなところありますよね。
おそらく、一種の楽土の信仰なんだろうけど。
鈴木大拙読んでる関係で、鎌倉新仏教に関心が出来ました。今日は、江の島へ。
山笠の準備がはじまりました。でも、今年もね……。
映画館中洲大洋は、よく行った名画座。なんとストレプトマイシンの発明者も来訪してるんですね。
ミイラを死生に関わる文化事象ととらえ、ミイラ文化とその研究の粋を集めた展覧会。死体の保存にかけた人間の欲望を垣間見ることに。
八女市にある福岡県立輝翔館中等教育学校で講演。うまく、できたかなぁ……。
やはり、上野は朝倉→博多→東京→奈良と歴史都市で育ちましたから歴史には、関心があります。
もちろん、源氏池の弁天さんにもお参り。
鶴岡八幡宮さんにお参り。
いくつかの切通を通って、鶴岡八幡宮へ。
鎌倉山公園で頼朝像も――。
日野俊基は、正中の変の犠牲者なのかぁ?
やはり、日野俊基の墓は大きい。顕彰されてますね。
明月院、浄智寺から登って、登って、葛原岡神社へ。
こんな庵で勉強するとよい文章が書けるかなぁ、と思う。でも、昼寝するだけか?
鎌倉といえば、切通ですよね。
北鎌倉のお寺めぐりしつつ、鎌倉山に。
たとえ、100歳まで生きたとしても、人生は一瞬だと思う。大拙先生、そう思いませんか?
もちろん、それから東慶寺、大拙先生のお墓に詣でます。
ここで、大拙はどんな思索をしたのかぁ……。
鈴木大拙が寄宿していた正伝庵、扁額は徳富蘇峰なんですね。
従軍僧でもあった釈宗演の揮毫です。
鈴木大拙を読んでいて、どうしても正伝庵に行きたくなりました。
これで、母に報告できます。
河野静雲先生は、高浜虚子会下の俳人で、わが家に虚子さんをお招きしたことも。
母の俳句の師の河野静雲先生の句碑にお参りに来ました。
じつは、母の俳句の師は、河野静雲先生で、時宗僧侶。
よい季節に、お参りできました。
それなりに、時宗寺院があるのに驚いた。
民衆教化に独自のスタイルで取り組んだ時宗。
小栗、照手姫譚、勉強したけど、なぁーも残りませんでした。
じつは、大学院の日本文学特殊講義では、牧田茂先生から餓鬼阿弥蘇生譚(折口信夫)を学びました。
やなぎみわさんの勧めで、遊行寺へ。
人も土地も、奥に入らないとよくわかりません。深みがわかりません。
保津峡までゆくと、ほんとに静かです。
「あるべきようわ」の碑。山川草木、人もそのあるべきように生きろとの教えです。
明恵さんのお墓に詣る。河合隼雄先生の本も読んだしね。
お堂めぐりもしました(高山寺)
明恵上人に思いを馳せながら(高山寺)
高山寺も、しっとりとした趣がある。
高山寺さんへ。
高雄の水は、清らかでした。
山道でおもしろい蛇行水路発見。神護寺から高山寺へ向かいます。
そうか、文覚上人の墓はここにあるのかぁ、と驚く(神護寺)
神護寺裏から山登り。岩根こごしき道が続きます(神護寺)
とにかく、建物が大きい(神護寺)
山岳寺院の研究も、してみると楽しいと思うのですが……(神護寺)
登るのは大変ですが、趣のある階段で、神護寺さんへ。
パラリと雨は降るも、高雄を歩こうと京都へ。
もうひとりの発表者は上野でありました。上野は、対面でやりました。
美夫君志会は、オンライン、対面同時並行でした。廣川晶輝先生、おつかれさまでした。
なぜか、文化戦略の懇話会の委員に。がんばらねば――。
NHK奈良放送局は、新大宮に移転。こういう痕跡も、考古学の研究対象になるかも。
よい季節に鎌倉を歩けた。
鎌倉といえば、ヤグラですよね。中世考古学やれば、楽しいだろうなぁ、と思いつつ。
やはり、奈良にいた者としては、極楽寺さんに行かないといけません。忍性さんのお寺ですから。
あじさいも見ごろでした。
スリランカ大統領ジャワルデネ先生の碑。終戦後、日本の国際社会への復帰を応援してくれたのは、インドやスリランカ、ビルマなどの国々です。
大仏さんの背中です。
鎌倉大仏の裏手で。こういうの見てると現代アートって何よ、と思う。
まさしく、美男におはす、ですね。
いざ、大仏へ。
鎌倉文士のひとりだった久米正雄の胸像。長谷寺にて。
鎌倉文学館の薔薇園にてA
鎌倉文学館の薔薇園にて@
鎌倉文学館は、前田侯爵邸を改装した施設。侯爵様だとこんなお屋敷に住むのかぁ、と思う。
まずは、鎌倉文学館へ。鎌倉別荘文化と鎌倉文士かぁ――。